憲法修正について


<zion様>

富井先生
 憲法9条に対するお答えを、ありがとうございました。
9条を変えて、自衛のための軍事力を肯定することは、聖書的に肯定されるということ、私もまったく同感いたします。

そういうことからしますと、今、憲法改正に向けて動いている人々も、9条を変えて国の軍事力を肯定し、自分の国は自分で守れる一人前の国になりたいと願っていると、表面上は一致いたしまうね。

 ただ、今、改正を願っている人々の、その改正に向けての動機付けには問題を感じています。憲法調査会の議事録などを見てみしても、新しい憲法の前文の内容には、日本民族のアイディンテティーを強調すべきだ、というような意見が散見され、そのような日本民族という共同体への帰属を強く強いようとする動機が根底にあるような憲法改正議論は、その向かう方向として、個人の自由を制限し、国家権力の支配を強めていくことになるのではないかと懸念するからです。

それは、人間に真に自由を得させようと願う、聖書的自衛論、改憲論とは、向かうべき方向性が正反対であって、民族的エゴや、自然法、ヒューマニズム的価値観をベースに現行憲法の改正が行われていくならば、少なくとも、現行のものより改悪することになるであろうと思われます。

もし、そうでありますならば、聖書律法こそが人間に自由を与える法であることを知っている私たちクリスチャンが、今なしうる責任とは何でしょうか。それとも、1パーセントにも満たないクリスチャンは、ヒューマニストたちによって憲法が改悪されることを、ただ指をくわえて見ているしかないのでしょうか。

 クリスチャンが単なる思考停止ゆえの「護憲」ではなく、律法の原理に少しでも憲法を近づけることを願うがゆえに、今、ヒューマニストによる憲法改正論議のくすぶっているなか、祈りと共にできることは何なのでしょうか。その中の一つの選択肢として、積極的「護憲」(伝道が進みクリスチャンが増え、聖書律法を喜ぶ人々がもっと増える時まで、憲法改悪をさせないため)というものもあるのでしょうか。

 どうぞ、お答えご無理なさらないでください。
 お返事気長にお待ち申し上げております。

<tomi>

掲示ありがとうございます。

今の憲法は、第9条を除けば、非常にすぐれたものであると思います。
ただ、憲法を改正することを望んでいる人々にも恐らくそれなりの理由があると思います。
恐らく、彼らが変えたいと考える理由は、

現行憲法は、「過度に」

(1)コスモポリタニズム
(2)倫理相対主義
(3)個人主義
(4)平和主義

であるからと思います。

これは、現行憲法が、GHQの支配下において、偏狭な民族主義や軍国主義への逆行を防ぐために、というネガティブな視点のもとに作られたからで、合衆国憲法のような「理念をかかげ、どのような国を作ればよいか」という「ポジティブ」な視点を欠いているからだと思います。

つまり、独立し、自分の足で立ち、自由と秩序と安全を確保するという理念が欠落している。たしかに、あるにはあったのでしょうが、日本人がそれなりの成熟した政治思想を持っていなかったために、結局、アメリカ人の知恵を「下賜」してもらう以外になかった。

私は、戦後60年たっても、日本人は政治思想を成熟させてきたとは思いません。だから、憲法を作るだけの思想を持ちあわせていない。こういった人々が憲法を修正するとどういうことになるか。

「戦後、援助交際、茶髪、ひきこもりが出たのは、教育勅語や日の丸掲揚がなかったからだ」などと安易な発想しかできない人々がどうしてまともな憲法を作れるでしょうか。

繰り返さなくてもいい失敗を繰り返すことになりはしないか。

キリスト教は政治を扱うべきではない、なんて言う人は、近代国家の成立に中心的な役割を果たした市民革命の源流がクリスチャンの政治運動であったということを知らないか、頭から完全に消えうせている。

近代国家における市民的自由がキリスト教の産物である以上、キリスト教の政治観を理解し、それに対抗して現われた啓蒙主義やヘーゲル主義、共産主義の国家観が具体化した場合にどのような国が生まれたか、についてきちんとした理解と反省がなければならない。

これがない限り、日本人は憲法を変えてはならない。バランス感覚がないから。思想が穏健ではないから。

どんなにやっつけ仕事であった憲法であっても、今の憲法は、バランスが取れている。

日本は戦後、アメリカの影響を受けたことによって、憲法だけではなく、様々な面において、中庸を取ることを学んできた。

ヨーロッパ大陸の人々の思想的伝統は、「ロマン主義」のような「宗教的ドグマチズム」で、実証などそっちのけで理論だけで突っ走る傾向があるが、アングロ・サクソンは、唯名論から経験論に至る「経験中心主義」という思想的伝統があって、デカルトやフランス革命、ヘーゲル思想が大陸で蔓延したときにも、イギリスでは、けっこう冷静にそれを受け止め、むしろ、その現実感覚を働かせて、大陸人の暴走にブレーキをかける役割を果たした。

私が、ドイツやフランスなどの大陸の人々に学ぶよりも、イギリスやアメリカに学んだほうが安全だと考えるのはこのためです。

日本人の独特な民族的ナルシズムの抑制のためには、アングロサクソンの影響下に留まる必要があると思います。

さて、今の我々クリスチャンの仕事としては、祈りと、行動だと思うのですが、「聖書的な」クリスチャンが、政権中枢部において、何らかの形で発言力を持つ必要があると思います。

神様は、政治の中枢部にクリスチャンを送り込むことをなさいます。

たとえば、当時世界最大の帝国であったバビロンやメディア、ペルシャの政権中枢部に、神は、ダニエルやエステルなどのユダヤ人を送り込まれました。

エステルの話を見ても、神様は不思議な方法で政権の最奥に神の人を送り込まれることが分かります。

神は、フルベッキを明治天皇のもとに送られました。内村鑑三や畔上賢造も、若き日の昭和天皇のもとに送られたと聞きます。

今時の、政治を無関係とみるディスペンセーショナリズムのクリスチャンではなく、きちんと聖書的な見識を備えた優秀な人物を皇室や政権の内部に送ってくださるよう祈る必要があると思います。

私たちが一致して祈れば、必ずそういった人が送られて、憲法改悪をもくろむサタンの計画を挫くことができると思います。

 

 

2004年3月8日

 

 ホーム

ツイート

 



millnm@path.ne.jp