フルプレテリズムの未来は異端の総合デパートである
フルプレテリズムは、キリストの再臨を過去のものと考えるため、従来の神学全体を否定し、信条主義をも否定する。
晩年のチルトンは、「母なる教会の幻想」について述べていた。
つまり、教会がこれまで歴史の中で学んだというのは、幻想に過ぎない。我々が教会の伝統に縛られる必要はない、と。
このような考えがなぜ危険かというと。
教会がこれまで異端に対して戦って得てきた果実を否定するということは、それだけ異端の考えにさらされる可能性が高くなるからだ。
事実、フルプレテリストたちは、マニ教と同じように、「善悪の永遠の継続」を唱える。教会の過去の戦いを否定するから、マニ教やグノーシスなどの異端が容易に入り込む。
律法廃棄論も同じ。マタイ5・17は、紀元70年までのことで、それ以降は律法は廃棄され、権威ではなくなっている、とすら言う。
これでは、宗教改革はいったいなんだったのか?あの戦いは、いったい意味があったのか、という疑問すら起こる。
こういった極端な意見にろくなものはないのだ。
信条は、コンピュータで言えばファイアーウォールである。
異端の攻撃を防ぐために教会が2000年かけて築き上げてきたものだ。
それを簡単に捨ててしまえば、もちろん、サタンはいろんな考えを我々の頭の中に入れてくる。
今後のフルプレテリズムの展開を見ればよい。
異端の総合デパートになるのは目に見えている。
2004年2月25日
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