救世軍山谷大尉の再建主義論に反論する16

 


<Y>

>「超性別的経綸」がはじまったというならば、他の個所におい
>ても、聖書は多くの個所において強調するはずです。

パウロが手紙を書いた当時、女性の社会進出はほとんどありませんでした。ですから、社会問題と関連して、超性別的経綸を論じなければならないという、文脈そのものが、存在しなかったのです。

これに対して、教会内では、礼拝への女性の積極的参加が、当時の社会通念から、問題にされました。ですから、ベールの問題が論じられ、また、礼拝と信仰の文脈でのみ、超性別的経綸が論じられたのです。

これが、新約聖書の中で、超性別的経綸が語られるボリュームが少ないことの理由です。

<T>

「超性別的経綸」は、新約聖書の解釈を左右する重要な原理です。
どんなに当時の社会的状況がそれを解説する必要をパウロに覚えさせなかったとしても、他の聖書記者が、それについて詳細に解説するはずです。

というよりも、我々は、「聖書は聖書によって解釈する」という聖書解釈の原理があるのですから、「聖書において強調されていない」という事実は、それが確定された基本的教理ではない証拠だ、と考えるべきです。

なぜならば、聖書にはほとんど補強聖句がない教えについて、「それは当時の社会状況がこうだったから」という理由によって、我々がそれを正統的教理と判別できるならば、「社会的状況」を挙げるだけで、どんな文言でも正統的教理に加えることができるし、また、聖書の教えが、「社会的状況」によって左右され、歴史学的考古学的発見につれて、聖書教理が変化するということになります。

<Y>

>「超民族的経綸」については、無数の個所において主張され
>ています。

パウロは、アンテオケを基地として異邦人クリスチャンの教会を地中海世界に開拓して行きました。
しかし、絶えず、ユダヤ人クリスチャン教会から、食い込み活動、あるいは、オルグ活動が行われ、いわゆる、羊泥棒のようなことが横行していました。
パウロが新約聖書の手紙を書いた大きな動機のひとつは、そこにあります。

ユダヤ人クリスチャン共同体は、「異邦人も、ユダヤ人のようにならなければならない。キリストを信じただけでは、十分ではない。異邦人も律法を守らなければならない」と主張しました。

だから、パウロは、繰り返し繰り返し、「信仰義認」と「超民族的経綸」を、手紙の中で強調しなければならなかったのです。
これが、超民族的経綸のボリュームが大きい理由です。

<T>

たしかに、このようなユダヤ人の攻撃があったことが、新約聖書から分かります。

しかし、聖書は、他の書物と違って、我々にとって、それ以上の権威が存在しないのですから、聖書を解釈する場合に、他のソースを聖書の上に置くことはできません。

歴史的社会的な発見や知識は、すべて聖書の枠内に収めなければならない。つまり、聖書の記述と矛盾すると分かった場合、そのような情報を切り捨てるほかはない。

我々が神のご見解を知るには、この方法しかないのです。

それゆえ、「聖書がこう述べている」と主張するならば、その証拠は、聖書自身のうちに『のみ』求めなければならない。

聖書が「新約時代超性別経綸」を主張しているというならば、「それを裏付ける補強聖句は何か?」と問われる。

この原則を破ると、教会に誤謬が侵入します。

 

 

2004年1月7日

 

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