旧約律法は自由の法である
旧約律法において、イスラエル人は、自由人として扱われている。
「わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すためにエジプトの地から連れ出したあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたのくびきの横木を打ち砕き、あなたがたをまっすぐに立たせて歩かせた。」(レビ記26・13)
旧約律法を適用された社会は、自由の社会であり、異なる教えや異端は、その自由な社会から人々を迷い出させようとする。
「あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。その預言者、あるいは、夢見る者は殺されなければならない。その者は、あなたがたをエジプトの国から連れ出し、奴隷の家から贖い出された、あなたがたの神、主に、あなたがたを反逆させようとそそのかし、あなたの神、主があなたに歩めと命じた道から、あなたを迷い出させようとするからである。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。」(申命記13・4-5)
旧約律法を適用された自由な社会に侵入する異なる教えや異端は、人々の忠誠心を試すための神の試練である。
「その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。」(申命記13・3)
それは、自由を破壊する奴隷の教えである。
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」(ガラテヤ4・9)
異なる教えを信じることは、人間の奴隷となることを意味し、自由人であるクリスチャンにはふさわしくない。
「あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。」(1コリント7・23)
結論:
・今日のキリスト教界は、旧約律法を「奴隷の教え」のように考えているが、まったく逆である。
・旧約律法を「過激」とか「極端」などといって拒否する人々は、「異なる教え」によって騙された人々であり、人間の奴隷になっている。
・自由人であるクリスチャンは、旧約律法を捨ててはならない。
2004年1月10日
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