黙示録の著作年代について 2

 


黙示録の著作年代について考える際に、重要なもう一つの点は、アダムとキリストの違いです。

神は、アダムに「地を従えよ」といわれました。

しかし、アダムは罪を犯して地を従える権威を失いました。

そのため、アダムに連なる人類は、最終的に地を従えることができずに、紀元70年に裁きを受けました。

「それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。」(マタイ23・35)

「それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』」(ルカ11・50)

紀元70年の裁きは、カインからイエス時代の反逆的ユダヤ人にいたる「罪人の系譜」に対する裁きであるとはっきりと聖書は述べています。

ここにおいて、「アダム族の人類が統治者として失格者であった」ということがはっきりと宣言されたのです。

しかし、紀元70年以降、アダムに代わってキリストが世界の統治者として任命されました。

キリストは律法を完全に守り、すべてを成就した「完全なアダム」であるがゆえに、その統治が最終的に失敗することなどありえません。

キリスト族であるクリスチャンがキリストの御体として世界において実権を握り、世界を支配する時に、世界は神の秩序に回復し、万物が復活するのは確実なのです。

それゆえ、黙示録が世界の終末における神の裁きを示していると考えることはできません。

それは、明らかに、紀元70年の裁きを預言しているのです。

 

 

2003年12月30日

 

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