日本に関する仮説 6
(1)
私が真名井神社について書いた時分は、インターネットでこの神社について書いているサイトは皆無だったが、今は本当に多くなった。幾人かが私の文章を引用し、また、実際に現地に調査に行った人もいる。
日本人にとって、ユダヤ教やキリスト教がそれほど遠い宗教ではないと分かってもらうことは、日本の宣教にとって重要である。無用な垣根が取り去られるからである。
いや、私の目標はさらに遠くにある。ユダヤ教やキリスト教と関係があるということだけではなく、「ユダヤ人にとって日本は特別な土地だった」ということすら分かってもらおうとしているのだ。
神武天皇の建国神話の時期と、イスラエル捕囚解放の時期の近似、そして、日本に渡来文化が根付く時期と、エルサレム崩壊の後、ユダヤ人の完全離散の時期が符号一致しているのは、なぜか。
また、世界において、日本を理想郷と見る思想があるのはなぜか。
ユダヤ人コロンブスが目指したのはアメリカ大陸ではなく、ジパングだった。ユダヤ人マルコポーロが日本を黄金の国としてヨーロッパに紹介したのはなぜか。
徐福は、不老不死の薬を探しになぜ日本に来たと言われているのか。中国神話において、日本が二本の桑の木から太陽の昇る地として理想化されているのはなぜか。
松本清張は、東夷伝に記述されている諸々の国の書かれ方を比較し、『倭人』の条には、かなり主観的で観念的な記述が入っており、『倭国が神仙思想による理想郷として書かれている』と述べた。古代中国の人々がなぜ日本をユートピアと見たのか。
イギリスの古地図には、日本の部分はHEAVENと記されているというがなぜか。
私は、恐らく、古代において世界中を飛び回っていたユダヤ商人や聖職者たちが、緑と水に溢れた日本列島を見て、理想の地と考えたのではないか、と考えている。
そして、さらに、彼らは、そこを「逃れの町」(創世記19・20、民数記35・6等)として見たのではないか。
ヨーロッパにおいてプロテスタントへの迫害が起こった時に、宗教改革者たちがスイスに逃れたように、古代ユダヤ人は、自分たちの祖国を追われた時に移住すべき土地として、日本を極秘裏に確保していたのではないか。
そのような秘密の情報が、離散ユダヤ人が世界に散った時に伝説として「東の果てに理想の地がある」という噂を生み出し、それぞれの民族に伝えられたのではないか。
今日、世界の多くの国々の人々が日本の豊かな生活にあこがれてやってきている。このような状況が古代においてもあったのではないか。日本は古代から人種のルツボ状態だったことが遺伝的に明らかになっている。恐らく、人々は、様々な理由で日本列島に移り住んだのだろう。
政治的迫害を逃れた者、海の幸や山の幸に恵まれた日本の自然にあこがれて来た者、金など鉱物資源を目当てにやってきた者、それだけではなく、宗教的理由で安住の地を求めてやってきた者もいたのではないか。
その中に初代教会の人々が含まれていなかったとどうして言えるだろうか。ユダヤ人クリスチャンが日本にやってきて神道の基礎を築いたと見ることはできないだろうか。
(2)
ユダヤ人が日本に対して抱く神秘的な感情は特筆に値する。
ルーマニアの伝道者イリエ・コロアマ師に数年前にお会いした時に、師は、次のように言われた。
「私の母はユダヤ人です。彼女は、まったく日本について知りませんでした。しかし、生前預言するかのように、日本にはユダヤ人の一部族が移り住んだとよく言っていました。私も、(『マルクスとサタン』の著者)ウァームブランド師も、この意見に同意しており、よく日本とユダヤ人について語り合っていました。」
「近代の日本ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何かがあるはずだ。この国の歴史がそれである。この長い歴史を通して一系の天皇を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる。
私はこのような尊い国が、世界のどこかに一ヶ所くらいなくてはならないと常々考えていた。
なぜならば、世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがやってくる。その時、人類は必ず真の平和を求めて世界的な盟主をあげなければならない時が来るに違いない。
その世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を遥かに越えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。我々は神に感謝する。我々人類に日本という尊い国を作っておいてくれたことを・・・」
「万世一系の天皇を頂く日本人は幸せである。この万世一系の天皇は、如何なる意味を持つとお考えであろうか。この点では、ユダヤ人が僭越ながら日本人に少々参考になる意見をお聞かせできるかもしれない。日本人からすると、万世一系の天皇といってもピンとこないかもしれない。他にどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血王朝である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や女王を輸入した。しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。何故か。王朝の権力を弱める必要からである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点、外国からの輸入君主は当たりさわりが少なく、しかも飾りものなので、最も有効な方法ということになる。
…我らの大思想家ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出して頂ければ幸いである。ルソーは「我もし随意に祖国を選べと言われれば、君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、やむをえずその代替物として民主主義国を選ぶ」と言っている。ここに全てが盛られている。ヨーロッパの王朝では常に君主と国民の利害が対立している。しかるに、日本の天皇制は決して利害関係の対立などない。仁徳天皇の「民のかまどに立つ煙り」の故事を説明するまでもなく、利害関係の対立は全くないのである。これこそ君民共治の見本である。
…ユダヤ人はルソーの言葉を待つまでもなく、長年(2000年以上)このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし祖国を持たないユダヤ人は、王を頂くこともできなかったのである。わずかにユダヤ教を“携帯祖国”として持ち、これによって民族の連帯と発展を推し進めて来たのである。キリスト教国では、このような高尚な理想を持った国は永遠に現れないであろうと思う。」
2004年2月12日
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