ジョージ・ワシントンはクリスチャンだったのか?
(1)
ジョージ・ワシントンは、終生英国国教会の会員であった。それゆえ、我々は、彼をクリスチャンだと考えてしまいがちなのであるが、実はそうではない。
公には彼は陪餐会員である。しかし、ポール・F・ボウラーによれば、彼は一度も聖餐式に参加したことがなかった。聖餐式が始まるや、彼は、すぐに席を立って教会から出て行った。
フィラデルフィアのクライスト・チャーチ教会の牧師ウィリアム・ホワイトからこの態度を咎められた時に、彼はある上院議員を通じて牧師に詫びを入れ、聖餐式の日には二度と教会に出席しないと約束し、また、それを守った(Paul F. Boller, Jr., George Washington & Religion (Dallas, Texas: Southern Methodist University Press, 1963), p.63. cited in Gary North's "Political Politheism" (Tyler, Texas: ICE, 1989), pp.420-421)。
ジェームズ・アベルクロンビーは、ワシントンが大統領だった頃、クライスト・チャーチ教会の副牧師をしていた。彼は1831年に歯に衣着せず、次のように言った。
「ワシントンが告白したクリスチャンであることは、彼が教会に定期的に出席していることから明らかです。しかし、閣下、私は、我々の聖なる宗教の創始者であられるお方が厳かにお命じになった礼典を一貫して無視する人を本当のクリスチャンと認めることはできません。…」。(同上 p.18)
ワシントンは、教会員でありながら、聖餐を拒否した。もちろん、聖餐とは、キリストの契約の中に入っていることを象徴する儀式である。
聖餐を拒否するということは、自分自身を教会から除名したのと同じ意味である。
ワシントンが属した教会の指導者たちは、ワシントンに対して、聖餐式に参加するように求めるか、これを拒絶した場合には、除名処分にするか、のいずれかを行うべきであった。しかし、彼らは、これを怠った。
そのため、ワシントンはクリスチャンである、という説が人々の間に事実として広まった。
(2)
彼に関するこのような肯定的な評価は、憲法制定時における彼の陰謀を人々の目から隠す働きをした。
ワシントンは、憲法会議を通じて、密かに非キリスト教的憲法(もっとはっきり言えばメイソンの憲法)を作り、それを国民に押し付けた。しかし、人々はワシントンがクリスチャンであると考えていたため、その本質を理解できなかった。つまり、人々は、これがクーデターであったという事実に気づかなかったのである。
「人々がワシントンをクリスチャンと見なすようになった原因は、これらの教会が彼に対して正しく戒規を執行できなかったことにある。後にこの失敗は、ワシントンが陰謀によって国民に押し付けた憲法を、間接的に正当化するという結果にいたった。
ワシントンが憲法議会を支援していなければ、憲法はけっして批准されなかっただろう。しかし、ワシントンは、あまりにも権威がありすぎ、また、あまりにも神聖でありすぎたため、教会は彼を戒規に付すことができなかった。」(Gary North, Political Polytheism, p.421.)
これは、今日のファンダメンタリストのクリスチャンたちが、ブッシュ大統領が教会の礼拝に参加するのを見て、「ブッシュは我々の仲間だ」と誤解しているのと似ている。
表面的な振る舞いを見て、その背後にある秘密の意図を読み取れない、もしくは、読み取ろうとしないのである。このような姿勢は、クリスチャンとして相応しくない。
我々は、「鳩のように素直に、蛇のように聡く」なければならない。それゆえ、陰謀に関する知識は、クリスチャンの政治観において欠かせない要素である。
(3)
ワシントンは、戦時を除いて、月に1度しか礼拝に出席しなかった。
ワシントンは、クリスチャンではなく、フリー・メイソンだった。
J・ヒューゴ・タッチの著書『ジョージ・ワシントンがフリー・メイソンであったという事実』の中に、ワシントンの正式な肖像画が載っており、そこで、彼はメイソン・ロッジのグランド・マスターの衣装を着ている。アレクサンドリアのロッジは、画家ウィリアムに代金として50ドルを支払っている。
実際、ワシントンは、1788年と1789年にアレクサンドリア・ロッジのグランド・マスターだった。
彼はメイソンのグランド・マスターのまま、大統領の座に着いた。ロッジのグランド・マスターでありながら大統領に任命された人物は、後にも先にもワシントン以外いない。(J. Hugo Tatsch, The Facts About George Washington as a Freemason (New York: Macoy, 1931), p. 43 cited in Gary North's Political Polytheism, p. 422.)
ワシントンの大統領就任式を執り行ったのは、ニューヨーク市ロッジのマスターたちであった。
「1789年4月30日、ワシントンは、ニューヨークのグランド・ロッジのグランド・マスター、ロバート・R・リビングストン主席判事の前で合衆国大統領の就任宣誓を行った。ニューヨーク市のセントジョンズ・ロッジ(市最古のロッジ)のウォーシップフル・マスター兼ニューヨークのグランド・ロッジの書記長であったジェイコブ・モートン将軍が、この就任式の司会を務めた。ワシントンは、モートンがセントジョンズ・ロッジの祭壇から持ち出した聖書の上に手を置いて合衆国憲法を支持すると誓い、それに口付けして式を締めくくった。」(James D. Carter, Masonry in Texas: Background, History, and Influence to 1846 (Austin: University of Texas Press, 1955), p. 26 cited in ibid., p. 423)
1793年9月18日、ワシントン大統領は、メイソンの正装で、アレクサンドリア・ロッジ22のグランド・マスターやメリーランドの暫定グランド・マスターとともに、ワシントンD.C.の連邦議会議事堂の南西隅に礎石を置いた。(Tatsch, pp.24-27 cited in ibid.)(*)
ワシントンの将軍のうち33人がメイソンであった。(Heaton, Msonic Membership, p. xvi, cited in ibid.)
ジョン・アイズモーによれば、ワシントンは、メイソンの背景を隠すために嘘をついた。
ワシントンは1798年G・W・スナイダーに宛てた手紙の中で、メイソンのロッジに加わったことは「過去30年の中で1度か2度しかない」と述べた。(John Eidsmoe, Christianity and the Constitution: The Faith of Our Founding Fathers (Grand Rapids, Michigan: Baker Book House, 1987), p.125, citing John C. Fitzpatric (ed.), The Writings of George Washington from the Original Manuscript Sources, 1745-1799 (Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office, 1931-44), vol. 34, p.453. ;cited in ibid.)
30年の間にメイソンの儀式に1,2度しか参加しない人がグランド・マスターになることは、不可能である。
ワシントンは自筆の祈祷書を持っていた。それには『日々の犠牲』という題がついており、次の祈りが含まれていた。
「どうか、東が西から遠いように、私の罪を御前から遠ざけてください。そして、御子イエス・キリストの功徳によって私を受け入れてください。」(Cited in Benjamin Hart, Faith & Freedon: The Christian Roots of American Liberty (Dallas, Texas: Lewis & Stanley, 1988), p.274. cited in ibid., p.425)
こういった祈りを見ると、ワシントンは三位一体論者だったように見える。実際、彼の祈りのうち7つを、ティム・ラヘイは著書で紹介している。(Tim LaHaye, Faith of Our Founding Fathers (Brentwood, Tennessee: Wolgemuth & Hyatt, 1987), pp. 111-13 cited in ibid., p.425n.)
ゲイリー・ノースは、「彼は、たぶんジョン・ロックと同様の『隠れ三位一体論者』だったのだろう。公には、メイソン一神論者(Masonic Unitarian)だったが。」と述べた(同上, p.425)。
しかし、イエス・キリストは、はっきりと「…わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。」(ルカ12・9)と言われた。
イエス・キリストを公の場で否定する者をクリスチャンと呼ぶことはできない。
(*)
ホワイトハウス(当時、『大統領の家』と呼ばれていた)も、南西隅に礎石が置かれた(1792年10月13日)。(Tatsch, pp.13-14)
その後も、1851年7月4日上院・下院、1932年9月18日連邦議会議事堂、1959年7月4日連邦議会議事堂、とメイソンが礎石を置きつづけてきた。(Tatsch, pp.5-12)
2003年09月24日
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