クリスチャンが聖書を過激呼ばわりしていいのか?
ストレイ・シープ様
リンク見ました。
救世軍は『キリスト新聞』とも関係があるのですか?
そうすると、新教出版の『福音と世界』と関係もあるかもしれません。
山谷大尉が栗林氏の論文を読んだとすれば、「右翼」との評価がここに由来するかもしれません。
まあ、とにかく、「聖書を最高権威とする」という立場に立たない教派と何らかの関係を持った時点で、救世軍だろうがなんだろうが、死ぬのです。
未来は絶望的です。
なぜならば、聖書を権威とできないならば、いったい何に頼ればよいのか、分からなくなるからです。
自分の判断力ですか?
そう、だから、「律法に書いてあること」を「過激」と評価するようになるのです。
律法は誰が書いたものですか?
そう、神様でしょう?聖霊でしょう?
神様が書かれたことを「過激」と言ったら、「あなたクリスチャンですか?」と言われますよね。
「クリスチャン」とは「キリストに属する者」であり、「キリストの弟子」なのですよね。
「キリストの弟子」が、キリストの上に立って、聖書を評価していいのですか?
救世軍は、こんな立場に変わったのですか?
それとも、これは、山谷大尉の独走・逸脱なのですか?
もっとも、ハリー・ポッターなるオカルト礼賛本を賞賛するのだから、その可能性大ですよね。
2004年1月2日
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