ユダヤ教と神社
> 神社にかつて主が臨在していたとはどういう意味ですか?
神社については、西方宗教の影響があることが分かっています。(*)
そして、ユダヤ人は古代からシルクロードを通じてアジアまで来ていることが資料から明らかです。
また、元早稲田大学講師のマービン・トケイヤーというユダヤ教の教師は、ユダヤ人は、シルクロードの絹製品取引に関して独占状態にあったと言っており、日本の豊受大神(とようけのおおかみ)は、「絹織物技術を伝えた」と記録にあります。ということは、この神様がユダヤ人と何らかの関係にあることが分かります。
実際、豊受大神の神社であり、元伊勢である、真名井神社の神主は、家の言い伝えによって、この神様は旧約聖書のヤーウェ神と同一だと述べ、もともとこの神社は、唯一神を信じていたと述べています。
また、彼は「伊勢神宮はこういったことをすべて知っているんです。でも伊勢神宮は外部に言わないでしょ。」とも言っています。(**)
また、諏訪大社の神主の娘であるK氏は、「我々の先祖はユダヤ人だ」と昔から家において伝えられていたと証言されています。
九州には「ヤーウェは救いである」と信じている神社があります。
知人によると、山陰には、キリストを祭っている神社もあるといいます。
実際、四国には「くりすと(栗須戸)神社」という名前の神社があります。(***)
私の今の仮説では、古代において、ユダヤ人が来て、ユダヤ教のシナゴーグ(教会)を開始したのが、神道の起源ではないか、ということです。
この証拠は、その他にもいろいろあります。
まあ、これは仮説の域を越えることはまだできませんが、可能性は大きいということです。
火のないところに煙は立たない。
(*)
狛犬や鳳凰など、西方の宗教と同じモチーフで出てくるものがあります。
また、呪いの人形を木に打ち付けるというのは、ユダヤ教やキリスト教の「木にかけられる者は呪われる」という十字架とつながりがあると思います。
(**)
飛鳥昭雄氏によれば、伊勢神宮の内宮の地下にある心御柱(しんのみはしら)は、T字型をした十字架であるといいます。
(***)
もちろん、ただ名前が似ているということだけでは、これがキリスト教と関係があると即断できません。
しかし、これから研究が進めば、古代日本とキリスト教の関係は明らかになるでしょう。
私の仮説では、おそらく、日本には紀元前より、ユダヤ人が植民地を作っていたのだろう。それは、バビロン捕囚以降、世界に散った離散ユダヤ人で、多数日本各地に住んでいた。
熊野や、徳島の祖谷にはユダヤ人が居住していたと伝えられているし、伊勢神宮の周りには数百人のユダヤ人集落があったといいます(平井堅みたいに、三重県には時々外人のような顔をした人がいます)。
今の歴史学の傾向は、「ユダヤ」といえば、パレスチナ地方と結びつくが、ユダヤ人は、生来、貿易商人であり、世界を股にかけて交易に飛び回っていた。その居住地は、世界大であったと思われます(実際、中国の開封には、今でも先祖をユダヤ人とする中国人のコミュニティがあります。何年か前に、ユダヤ系中国人の集会がありました。)
そして、世界各地のユダヤ人を牧会するために、巡回ラビがいた。パリサイ人は、「回心者を求めて世界を飛び回っている」とイエスは福音書の中で語っておられる。
このことから、キリストの誕生は、文字通り世界に住む離散ユダヤ人に伝えられ、その周りの異邦人にも伝えられたことだろう。
そして、イエスが十字架につかれたという福音も、離散ユダヤ人に伝えられたことだろう。そして、その伝道が、紀元70年のイスラエル崩壊まで、続いただろう。
これが、マタイ24章の「地の四方に御使い(原語は『伝令』という意味でもある)を遣わし、選びの民を集める」というイエスの預言の意味だと思います。
全世界の離散ユダヤ人に福音が届いて、選民に対して「御子について証言がなされた」。この証言なしでは、ユダヤ人を裁いて、新しい世界の到来を宣言できなかった。
ペテロのもとには「来臨の約束はどうした?」と揶揄する人々が現われたとあります(第2ペテロ)。それは、いつまでたっても、イエスがマタイ24章で預言された「ユダヤ人に対する裁き」が行われなかったからです。
しかし、ペテロは、「時が遅くなっているのではなく、神が忍耐しておられるからだ」と述べています。これは、世界に散らばる離散ユダヤ人に福音を届けるのを待っていたためだと思います。
日本に、福音を伝える人々がやってきて、離散ユダヤ人に伝えられた。
だから、「キリスト教伝来はザビエルから」なんてのは、私は、間違いだと思います。
イエスの死の直後に、すでに日本には弟子達が来ていた。
それだけではなく、恐らく、三神たける氏が言われるように、紀元後日本にやてきたユダヤ人は、『初代教会を形成したエルサレム教団』の人々であった、と言えるのではないでしょうか。
というのも、紀元70年以降、迫害を逃れたクリスチャンは、どこに行ったのか。
もちろん、世界各地に散ったことでしょう。そして、ローマに行ったクリスチャンたちは、そこで最終的にローマ帝国を覆す勢力になった。
しかし、忘れてはならないのは、東洋、さらに、日本に行ったクリスチャンたちもいたということは十分にありえるのです。
おそらく、バル・コクバの乱(2世紀)以降、ユダヤ人がユダヤの地を離れ、そこが完全に異邦人の手に渡ってから、ユダヤ人は、自らの土地を、まだ人の居住が進んでいない辺境地に求めたのではないか。
しかも、気候の面でも、緯度の面でも、自然環境の面でも、適切な地として日本を選び、集団で移住したのではないか。
もしかして、日本は世界最初のキリスト教国だったかもしれません。
2004年1月11日
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