『福音と世界』(2003年12月号)栗林輝夫氏のエッセイ「宗教右翼は神国アメリカをめざす――統治の神学、キリスト教再建主義、セオノミー」への反論6
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再建主義者の目標は、政治運動によってアメリカに地上の神国、排他的なキリスト教国家を創ることにある。いやアメリカだけではない、地上にある国家すべては聖書の神法によって治められるべきだという神律主義者の主張もある。
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これは、再建主義批判者の頭からけっして離れることのない執拗な誤解である。どんなに我々はそうではない、と言っても、彼らは「いや、そうだ。」というので、説得に無力感を感じるほどだ。
再三HPで述べているが、もう一度はっきり言おう。
我々の目標は、「政治運動によってアメリカに地上の神国、排他的なキリスト教国家を創ること」ではなく、「伝道」によって、人々の心を神と和解させることである。
政治運動は、和解した人々が神に喜ばれる生活がしたいからという理由で行われる「伝道の果実」である。
心の和解がない社会に対して、無理やり「排他的なキリスト教国家」を作ることなど誰も望んでいない。
再び言うが、神は、レイピストではない。
強制や暴力によって、女性の愛や尊敬を獲得できるだろうか?
聖書において、キリストは花婿であり、教会は花嫁であるという。
政治活動によって人々や国家をクリスチャンにしようと主張する人間は、キリストのことを「レイプによって女性を獲得し、家庭内暴力によって彼女を支配し続ける」人間として描いているのだ。
聖書はそんなことを述べていない。
むしろ、キリストは、「妻のために命を捨てた夫」として描いているのである。
政治を変え、法律を作り、警察を動かして、反対者を粛清し、人々を恐怖によって支配しようとするのは、キリストではなく、サタンの方法である。
我々は、そのようなことを述べていない。
再建主義から影響を受け、「ドミニオン(支配)」という言葉を誤解した一部の人々が、それと受け取れるようなことを述べているが、それは、彼らの間違いである。
この点は非常に重要だから、再度強調しよう。
宗教右派を支配しているファンダメンタリストたちの主要な考えは、ディスペンセーショナリズムである。宗教右派の中心的指導者ティム・ラヘイはディスペンセーショナリズムに基づく終末論の著作『レフト・ビハインド』を著した。
ディスペンセーショナリズムは、再臨の後に訪れる千年王国の時代に「ユダヤ教の体制」が復活すると言う。
この「ユダヤ教の体制」とは、聖書が述べるのと異なり、「イスラエル民族の栄光を求めるユダヤ民族至上主義者が達成する世界支配体制」である。
このユダヤ民族中心主義の体制の頂点に君臨するのが再臨のキリストである。キリストは、再建されたユダヤの神殿から世界を支配する。現在10億人いるというイスラム教徒たちも、無神論者たちも、キリストの威光の前に、強制的にひれ伏し、聖書律法に従うように命じられる。
「いや、我々はそんな専制主義を述べていない」とディスペンセーショナリストは言うかもしれないが、まだイスラム教など異なる教えを信じきっている人々をキリストに服従させ、キリスト教の支配体制に従わせる方法は、強制以外にはないではないか。
ディスペンセーショナリズムの千年王国観は、未成年者に対するレイプと同じである。
「まもなく再臨がある。終末だ。」と彼らは言う。
もし終末が近いならば、千年王国も近いということになるだろう。
しかし、まだ世界は、未成年の状態である。
世界には、キリストを信じていない国がたくさんある。
イスラム教国や日本や、ヒューマニストたちが数多くいるこのような未熟な状態で千年王国が始まれば、当然のことながら、彼らを支配する方法はレイプと家庭内暴力以外にないのだ。
批判者は、ディスペンセーショナリズムの宗教右派と、再建主義を混同するという誤りを、一日も早く捨てて欲しい。
2003年12月8日
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