我々は今のファンダメンタリズムと同一視されるのを拒否する
最近、宗教右派の影響が政治に及んでいることから、キリスト教ファンダメンタリズムへの関心がノンクリスチャンの間にも起こっている。
彼らは、ファンダメンタリズムを教典を文字通りに信じる「原理主義」と呼び、イスラム原理主義と同一視し、迷信に取り付かれた「右翼」「過激派」のようなものとして見ているようだ。
しかし、歴史的なキリスト教もユダヤ教も、原典の無謬性を信じる。カルヴァン派もルター派も同じだ。
もしこのような立場が右翼で過激派であるならば、ピューリタン革命やアメリカ革命を行った人々も、右翼で過激派だったのか?
アメリカの独立宣言を行った人々も、自爆テロを行うアルカイダのようなものと同じだったのか?
「教典に忠実」という点を見て、右翼だの過激派だのと結びつけるのは、あまりにも粗雑な批判だ。
もっとも、アメリカのファンダメンタリズムがかなりおかしな方向に変容したのは事実だ。
今のファンダメンタリズムは、ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ(前千年王国説)という終末論を信じ、聖書を「文字通り」文字通り信じる人々である。つまり、字句をそのまま丸ごと信じなければならない、と主張する人々である。
もうすぐハルマゲドンが起こると信じて、聖書の預言の成就を期待している人々である。
歴史的に見れば、このような解釈は、「珍説」とか「異説」として退けられてきた。宗教改革者は、それを異端と呼んだ。
だから、我々は、ファンダメンタリズムと同一視されるのを拒否する。
2003年12月22日
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