信仰を聖書的に確立しないままに政治活動をすべきではない
ゲイリー・ノースは、1980年にテキサス州ダラスにおいて開かれた「国内問題報告会」(Religious Roundtable主催)においてメッセージをした(G.North, Rupture Fever, ICE, p.180-181.)。
この会議の最終日には、15000人が集まり、フォート・ワースの伝道者ジェームズ・ロビソンと、まだ大統領候補だったロナルド・レーガンも演壇に立った。
すべてのメッセージは、「クリスチャンには聖書の教えに従って投票する責任がある。どの政治制度、法制度にも、根底に道徳の体系が存在する。道徳体系の本質は、宗教である。宗教は、善悪の体系であり、ある活動を認め、ある活動を否定する。それゆえ、クリスチャンは政治に対して積極的に関わるべきである。政治に関わることは、クリスチャンにとって道徳であり、宗教的義務である。」というものであった。
まさに、ラッシュドゥーニーが『聖書律法綱要』の「序論」において主張したとおりの教えである。
それまで、クリスチャンは3世代に渡って、「宇宙には中立の領域が存在し、神にもサタンにも属さない『真空地帯』が存在する。政治はその一つである。この中立の領域においては、神は、一つの例外を除いて、様々な法体系を許しておられる。その例外とは、『旧約聖書律法』である。神はこの法体系を2000年前に捨ててしまわれたのである。」と教えられていた。
「報告会」のメッセージを聞いて、人々はどう反応しただろうか。ブーイングの嵐が巻き起こったのであろうか。
まったく逆であった。
スピーチが終わると、聴衆は立ち上がって拍手し、「アーメン!」と叫び、日が経つにつれて参加者の数は増えていったのである。
「これらのアメリカファンダメンタリストのリーダーたちは、聴衆に向かってこう言った。『1980年の選挙は単なる始まりに過ぎない。聖書の原理はアメリカの法となり、今や、百年の間アメリカの政治を支配してきた世俗ヒューマニストたちはその座を追われ、神を恐れる人々に取って代わられるだろう。教育、家庭、経済、政治、行政など、生活のあらゆる領域は、キリストによって征服されるだろう』と。次々と現われるメッセンジャーは、異口同音にこの目標を聴衆に掲げた。聴衆は熱狂した。これは、驚くべき光景である。これまでずっと『キリストの再臨が切迫している。まもなくサタンの勢力が台頭し、世界を回心させる教会の計画は頓挫する』と言い続けてきた幾千ものクリスチャンや牧師たちが、…この地上での勝利を宣言する人々に喝采を送っているのである。」(Ibid., p.182)
これらのスピーカーは、聴衆の心理操作に長けていたのであろうか。聴衆は、彼らが何を語っているのか正確に理解していなかったのだろうか。そうではない。彼らは、内容をよく理解し、それを喜んで受け入れたのである。
ラッシュドゥーニーが『聖書律法綱要』を出版してから、10年もたたないうちに、アメリカのクリスチャンの間にこのような変化が生まれていたのである。アメリカのキリスト教の底力を見る思いである。
このようなパラダイムシフトは、その後、20年の間に着実に進行してきた。
政治において、キリスト教右派を通して、再建主義の主張は政治の中枢部にも影響を与えている。
教育において、ホームスクーリング運動やチャーチスクーリング運動は、アメリカの教育界を劇的に変えている。
しかし、残念ながら、神学的な一貫性の欠如は、これらの運動に大きな否定的な影を投げかけている。
アメリカファンダメンタリストは、ディスペンセーショナリズムから完全に脱しきれていないのである。
彼らは一方において「聖書の教えに基づいて政治を変えなければならない」と言いながら、「反キリストの支配が間近だ」と言っている。
一方で、「神の勝利を!」と叫びながら、他方で、「サタンは世界を制覇する」とつぶやいている。
ゲイリー・ノースは、これを神学的「分裂症」と呼び、政治思想としては完全に欠陥品であると言っている。
「『あなたがどんなに努力しても、それは水泡に帰します』と言いながら、どうして人々を政治活動に参加させることができるのだろう。勝利を期待してない人が、どうやって勝利を期待できるのだろう。選挙民に対して『あなたが投票しても、アメリカの堕落を食い止めることはできません。アメリカがサタンの王国に変わっていくのを防げるはずはありません。』と言いながら、どうやって選挙戦で勝利できるのだろう。敗北は確実だと唱える政治運動が、どうして成功できるだろう。」
(Ibid.,p185)
宗教右派の牙城で、今や、大統領をも動かす力を持つアメリカクリスチャン同盟(会員200万人)の活動は、アメリカのクリスチャンが20世紀においてすっかり汚染されてしまったディスペンセーショナリズムの影響から完全に脱しきれていないことを端的に示している。
彼らは、クリスチャンが政治の主導権を取るべきだと叫びながら、同時に、「西洋の価値観」「民主主義」を「武力攻撃によって」中東に導入しなければならない、と語っている(http://www.path.ne.jp/~millnm/christcol.html)。
ラッシュドゥーニーは、「西洋の価値観」や「民主主義」はヒューマニズムを基礎としており、本質において、反聖書的であるとはっきりと述べている。このようなものを無批判にそのまま、しかも、「武力攻撃によって」世界に広めようとするのは、再建主義はもちろんのこと、クリスチャンとしても絶対に行ってはならないことである。
今回のイラク攻撃により、世界の人々に、「クリスチャンが政治に関わると危険だ」という印象を与えたのは非常に残念なことである。
自分の信仰が内部分裂したままで、性急に政治活動に参加することがいかに危険か彼らの活動は示しているのだと思う。
2003年07月27日
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