時代に取り残されないために

 

よく、「富井さん、人を説得するなら、外国の神学校でも出ないと…。」といわれるのだが、今日の神学校で、我々の興味を満たす、今日的意義をもつテーマを扱うところはないのである。

そもそも、公共性の高い施設は、その公共性のゆえに、万人に首肯されるようなものしか提供できないのだから、最先端で研究されているようなものを学ぶことは不可能である。

たしかに、既存の大学や神学校で最先端のものは学べるだろう。しかし、それは、「既存のパラダイムの中の最先端のもの」でしかないのである。「パラダイムがまったく異なるもの」を学ぶことはできない。なぜならば、パラダイム外の人間はそこで教えていないからである。こういった人間は、とうの昔に組織から追い出されているのである。その組織を支えてきた土台を崩すような人をどうして受け入れておくことができるだろうか。

したがって、このように、既存のパラダイムがくたびれているような時代には、既存のシステムから弾き飛ばされたような人間が神に用いられるのである。

旧約のシステムが機能しなくなった時代に活躍したのは、学位もなく、エスタブリッシュされた組織からのお墨付きを持たない、イエスや弟子達だった。

もちろん、学位を取ったり教育を受けることを否定するわけではない。

しかし、もし次の時代のことを真剣に考え、旧い時代のシステムに疑問を抱いているならば、○○神学校や△△大学院でPh.D取得などということにこだわっていてもしょうがないのである。

アウトサイダーを軽んじる人は、今のような変化の時代に取り残される恐れが十分にあるから注意しよう。


 

 

2003年07月16日

 

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