間違った教えを異端と呼ぶことについて
地球征服をたくらむ宇宙人が来て、地球人を絶滅しようとしました。一番よい方法は、何でしょう。
サリンのような毒ガスを撒く?
核爆弾を投下する?
インディペンス・デイのように、レーザービームで大都市を破壊する?
しかし、これらの方法は、途中で相手に気づかれて、反撃に出られる恐れがあります。
私が一番効果的だと思う方法は、性欲の中枢を破壊するような物質を密かに食べ物や空気に紛れ込ませることです。
そうすれば、知らず知らずのうちに少子化が進み、気づくと立ち直れないくらい人口が減少して、トキなどのように、絶滅への坂を転げ落ちるようになります。
種にとって、一番恐ろしいのは、病気でも外部からの圧力でもなく、「増殖する意欲」を殺がれることです。
男女や雌雄の間に恋愛も、結婚や交尾への意欲も湧かなくなれば、その種は早晩絶滅します。
サタンがクリスチャンに対して仕掛けている最大の攻撃は、この「増殖する意欲」を殺ぐことです。
そのために、サタンは「伝道なんて必要ないよ。すでに人類はみな救われているのだから」とか、「死後にも救いのチャンスはあるのだから、今の世の中であくせくしなくてもいいじゃないか。」とか、「もう終わりは近い。福音を伝えられるのはあと10年くらいだ。周りの人どまりでいい。海外宣教なんてやる時間はない。子供にクリスチャン教育を施すなんて時間の無駄だ。」とか、「地獄なんてないんだよ。死んだら無になるだけだ。」とか、ささやきかけてきます。
こういった教えをまともに信じると、クリスチャンは増えることを望まなくなります。かつて宣教の中心であったイギリスは、このような教えにすっかりやられてしまいました。イギリスだけではなく、ヨーロッパのかつてキリスト教国と呼ばれた国々におけるクリスチャン人口の激減の原因は、「間違った教え」にあるのです。
サタンは、異端を通じて、人々を御国の働きから引き離すことに成功してきました。
私が「異端」という言葉をよく使うのは、ある意味で人々にショックを与えたいからなのです。「違った教え」というような「中立的」な言葉ではなく、「誤謬」とはっきり言わないと、私たちは知らないうちに、増殖欲を殺がれ、去勢者にされてしまいます。
歴史的に異端と呼ばれてきたものには、それなりの理由があります。異端の教えは、それを信じることによって、信仰の内実に致命的なダメージを与えるようなものばかりです。
たとえば、バルト主義の普遍救済論は、「もうすでにみんな救われているのだ。」と教えます。これは、いかにも愛に満ちた言葉のように思えます。これと比較すると、福音的クリスチャンの「キリストの贖罪を信じなければ救われない。」という言葉はいかにも偏狭な印象を受けます。
しかし、バルトの普遍救済論をまともに信じたら、伝道への意欲は完全に殺がれます。「もう救われているなら、何も苦労してジャングルの奥地まで宣教師を派遣する必要はないだろう」と考えてしまいます。
私たちが直面しているのは、敵によるキリスト教絶滅計画なのです。サタンは、我々を絶滅への坂道に乗せようとしているのです。
どんなに偏狭で、厳しく、独善的と言われようとも、教えに関して妥協することは、自殺行為なので、これからも間違った教えについては、「異端」と呼ぶことにします。
2003年08月13日
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