十字架と契約の箱
キリストは天の幕屋において自分の血を携えて、天にあるまことの契約の箱に血を注いで、一度限りの贖いを「霊的に」なしたとヘブル書は記しています。
この個所のゆえに、従来クリスチャンは、キリストの血は贖いとして有効であったと考えてきました。これは正しい理解であると思います。
しかし、このような霊的な贖いだけではなく、物質的にも、実際にも贖いの儀式は成就したのではないでしょうか。
つまり、文字通りの契約の箱に文字通りの血が注がれたということがあったのではないでしょうか。
しかし、当時の祭司たちは、キリストをまことの贖い主とは考えていなかったのですから、その血を神殿の奥に持っていって、契約の箱に注ぎかけるということはするはずがありません。それでは、どのようにして、キリストの御血は契約の箱にかかったのでしょうか。
聖書考古学者ロン・ワイアットが、ゴルゴタの丘の下に契約の箱があるのを発見したそうです。
この発掘の様子を記録したビデオがあります。
これは、エレミヤが神の預言によって丘の下に運び入れたもので、キリストが十字架につかれたときに、地震が起こって、地面が裂け、十字架を伝って流れた血がその契約の箱にかかり、その跡が残っているというのです。
「そんな馬鹿な!」と思われるかもしれません。
はじめ私もそうでした。
しかし、よくよく考えてみると、旧約聖書のシステムの、幕屋や神殿の中において、契約の箱には、何千回も動物の血が振り掛けられてきたのです。どうして本物が振り掛けられないでよい、というようなことがあるでしょうか。
ローマ兵士が、十字架上のキリストのわき腹を槍で突き刺した、と聖書は記しています。すると、そこから血と水が流れ出たとも。
おそらく、心臓に突き刺したのですから、大量の血が流れ出たでしょう。
そのおびただしい量の血は、ただ単に十字架の下の地面に流れ、ベンハーの一場面にあるように、雨とともに流れ去ったのでしょうか。
このようなことを神がなさるでしょうか。キリストの貴い血が、無駄に流れ去るというようなことを。
私は、この発見の話を最初に聞いたときに、「トンデモじゃないか?」と思いました。
昨年、ある教会の牧師先生から、アメリカテネシー州にあるロン・ワイアット博物館への旅行に通訳として参加して欲しいとの要請があったのですが、あのときは、気が進まず断りました。
しかし、ここ数日、よくよく考え直してみたのです…。
神殿の幕は真っ二つに裂けました。この出来事は、十字架において、真の礼拝が完成したことを示しています。
もし、神が真の神殿の型であり模型である神殿の礼拝を尊重しておられたとするならば、契約の箱に血が注ぎかけられるという贖いの祭儀が文字通り完成することがまったくなかったと断言することはできないのではないでしょうか。
もしこの発見が事実であるとすれば、世紀のビッグニュースです。そして、私たちの理解も大きく変わります。ですから、結論を出すには、慎重を期す必要があるでしょう。現在、この発掘跡は、イスラエル政府がコンクリートで固めて、厳重な管理下にあるとのことです。
2003年04月28日
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