敵にあざけりの機会を与えるな
1988年は、ディスペンセーション神学が死んだ年である。
携挙が起こらなかったからである。
ディスペンセーショナリストたちは、イスラエル建国後40年目に携挙が起こると言っていた。
エドガー・ワイゼナントは、1988年7月に出版した『携挙が1988年に起こる88の理由』という本において、「携挙は今年の9月に起こる」と予言した。
しかし、何も起こらないと、今度は、それを1989年1月に延期した。それも起こらないと、1989年9月にさらに延期したのである。もうこの頃になると、彼の発言を信じる者は誰もいなくなった(Rapture Fever, ICE, 1993, p.106)。
ワイゼナント自身は、100万部以上売れたと言っているが、ゲイリー・ノースは「400万部以上売り上げただろう」(Ibid.)と述べている。
ダラス神学校の教職者や学生たちは、これらの著者たちは現代のディスペンセーショナリズムにおいて主流派ではない、と言うが、ディスペンセーショナリズムは、本質において、大衆運動であり、ペーパーバックの予言本を通じて広まったのである。しかも、これらの著者の中には、30年間ダラス神学校校長を務めたJ・F・ウォルヴァード博士も含まれる。ウォルヴァード博士は、オイルショックの翌年1974年に出した『ハルマゲドン、石油、中東危機』という本を、湾岸戦争後の1991年に再販し、150万部を売り上げた(『タイム』誌1991年2月11日号)。
ウォルヴァード博士は、初めの頃、伝統的なディスペンセーショナリズムに従って、「突然の携挙」説を否定していた。しかし、この本を出版した時に、考えを翻して、ハル・リンゼイやデイブ・ハント、コンスタンス・カンベイなどの大衆ディスペンセーショナリズム――ゲイリー・ノースはこれをディスペン・センセーショナリズムと呼んでいる――に追従し、「携挙はいつでも起こりうる」と言い始めたのである。
『ニューズウィーク』誌1991年3月18日号で「宗教」欄を担当するケネス・ウッドワードは、次のように述べた。
「80歳のウォルヴァードは、自分が生きている間に携挙が起こると期待している。多くの人々が突然この地上から消えてなくなるというのである。彼は、これについて『私はこの時まで生き残って、メディアがこの現象をどう説明するか見てみたいものだ。』と述べている。」
ウォルヴァード博士は、多額の印税と名声と引き換えに、学的信用以上のものを失った。ドワイト・ウィルソンは、ディスペンセーショナリストの同僚に対してこのような警告を発している。
「本を売るために、聖書をセンセーショナルに解釈してはならない。センセーショナルな解釈をすれば、後になって、読者は、あなたのことを山師か何かのように思うだろう。そればかりか、キリストと教会の評判も著しく汚されることになるだろう。」(Rapture Fever, p. 20.)
たしかに、ディスペンセーショナリストたちの予言本が出るのは、センセーショナルな事件の後であることが多い。
湾岸戦争の時には、(ウォルヴァードのほかに)ダラス神学校チャールズ・ダイアー教授が『バビロンの台頭:終末のしるし』を、ゴルバチョフがソ連邦の大統領に就任すると、ロバート・フェイドが『ゴルバチョフ!反キリスト現る?』を、同時多発テロ後には、奥山実氏が『世の終わりが来る!』を出版した。
人々の耳目を引く大事件の後で、このような予言本は売れるだろう。しかし、クリスチャンは、主イエスにならって、目先の評価でははく、長期的・歴史的な評価を期待すべきである。
預言者ナタンは、ダビデに対して「この行ないによって、あなたは、主の敵にあざけりの機会を与えた」(2サムエル12・14)と非難した。
ディスペンセーショナリスト予言本の著者たちは、自分たちの軽率な予言によって、敵にあざけりの機会を与えたことを悔い改めるべきである。
2003年08月10日
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