正義を曲げる心理学
神学校の授業で、教師がホモは遺伝的にそういう人間になる素質を持っているのだ、言っていた。
たしかに、ホモになりやすい人もいるだろう。
しかし、それだからと言って、ホモは本人の属性の一つなのだから仕方がないのだ、という同性愛賛成論者の意見には同意できない。
そういう議論が成立するならば、殺人者についてだって言えるだろう。
殺人が先天的な素質と関係があると何かで読んだことがある。前の議論が正しいとすれば、「殺人者は生まれながら殺人を犯しやすい素質を持って生まれてきたのだから、彼を責められない」ということになるのだ。
戦後、このような「環境が、素質が、教育が、虐待が原因で、このようになったのだから、被告を許して欲しい」というのが裁判において罰を軽減する理由となってきた。
私は、このような議論に反対である。
人間は、実際に犯した罪の重さに従ってさばかれるべきである。聖書はそのように命じている。
たしかに、罪人の背景に同情する余地はある場合もあるだろうが、それが罪を軽くしたり、無罪にではできない。
心理学における、過去探索が、このように裁判にも色濃く反映し、裁きが曲げられているというのが現状である。
今日の世界において、正義を曲げている主役の一人は、心理学である。
2003年11月29日
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