白装束の集団とハルマゲドン病

 


ニュースで、不気味な白装束の集団を取り上げている。

林道の脇や木に白い布をかぶせ、自分たちの車にも白く塗装している。

スカラー波とかいうものによって攻撃を受けているからだ、と。

そして、第10惑星が地球に接近し、破局が迫っていると。

ありもしない脅威を作り出し、その肥大化した妄想からくる恐怖によって人間の行動を規制し、非常識な行動に駆り立てる手法はカルトに共通するものである。

サタンは、恐怖の霊によって人間を操ろうとしているのである。

このような妄想に取り付かれると、見るものすべてが自分たちに対する陰謀家の攻撃となってしまう。

そして、その「邪悪な」攻撃に対して、あらゆる手段を講じて対抗してもよい、と自分の行動を正当化するようになるのである。

オウムのサリン事件は、このような妄想の恐怖によって引き起こされたのである。

今、クリスチャンのほとんどが冒されている「ハルマゲドン病」もこの一種である。

カルト専門家によると、カルトの特徴の一つは、社会から遊離することを薦める教義を持つ点にあるらしい。

「もうすぐ携挙があります。社会改革などむなしい。一人でも救いに導き、携挙してもらえるようにがんばろう」と薦めるのも、「社会からの遊離を薦める」教えである。

今日の、再臨切迫信仰を持つクリスチャンは、もう、すっかりカルトなのである。

教会は、カルトのゲットーと化している。

彼らにとって、世界が破局に陥ってもどうでもよいのである。地球の人口の3分の1が滅びると聖書が預言しているからと。

私のHPにある奥山氏との対論について、あるクリスチャンは、「再建主義は自分の説が絶対であり、それに従わない者はみな異端と決め付ける」というが、私は、きちんと相手に対して、返答の余地を残している。ある具体的な個所を上げて、この個所について合理的に解釈してみなさい、と問い掛けているのである。(*)

これが自分を絶対化している態度だろうか。

「相手をやりこめようとしている」という現象面だけを見て、カルトの自己絶対化と、我々を混同しないでいただきたい。


(*)

プレ・ミレの人々は、次の質問に答えて欲しい。

・ マタイ24章が世界の終末預言であることをどのように証明するのか。イエスは、「これらの前兆はこの時代に起こる」と述べている個所を「私的解釈」を施さず、「歴史的・文脈的」に解釈していただきたい。これに答えようとした人は一人もいないのである。もちろんである。どう逆立ちしても、「この時代に起こる」ということは、「イエスの時代に起こる」という意味以外ではないからである。もしこれに答えられないならば、マタイ24章から「大患難時代」はこれから来るという「大患難未来説」を唱えることをもうやめて欲しい。

・ 使徒3章21節の「このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる(原語では『元通りの状態に回復する』)時まで、天にとどまっていなければなりません。」をどのように合理的に解釈できるのか。ここで、「万物が回復する時まで再臨はない」とはっきりと語られているのである。


 

 

2003年05月02日

 

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