南米と日本で発見されたメノラー

 

ユダヤ人は、紀元前千年(ソロモン王の頃)にすでに世界中を旅行していたことが、南米で発見されたメノラーから分かる(http://izumo.cool.ne.jp/iwaodate/menora.htm)。

南米で見つかったメノラー図形
南米の、ペル-のインカの遺跡でメノラー形が刻まれた円形の石板が発見された。
その囲りには、アラム語で「過越し」(パスカ)と記されていた。アラム語は古代イスラエル人が使った古代語だから、それが書かれていること自体、非常に古いものであることを意味する。そこから数メートルの所に船の絵(イスラエル10部族の1つのゼブルン族の紋章は舟である)が刻まれた石版も見つかっている。その舟には「チッポラ」という言葉(モーセの妻と同じ名前でイスラエル人の名前)が記されていた。これは彼らが南米に舟でやって来たことを意味するのだろう。学者はこれは約3000年前のものと考えている。
(イスラエルの新聞記事)
そして、すでに紀元前500年頃に日本にも来ていたことが、下関市で発見された彦島杉田丘陵の巨石のユダヤ教の祭具であるメノラー図から分かるという。(同上)
下関市 彦島(杉田丘陵)のペトログラフ
1923年、当時「恐れの森」と呼ばれていた杉田丘陵で、意味不明な文様が刻まれた大岩が何個も見つかった。
1933年に、「防長原資料」には杉田丘陵の岩は良く分からない。とりあえず、古墳の一部とする。という報告が出された。
1987年10月、日本言語学会の吉田信啓氏は「古代文字に相違ない」と直感し、歴史言語学者の川崎真治氏に連絡をとった。
川崎真治氏は綿密な調査の結果に、驚くべき次の見解を発表した。
「杉田丘陵の岩刻文字は、シュメール文字と古代バビロニア文字で刻まれていて、古代中国の文字や日本の弥生時代の文字も混在する。このことから杉田丘陵は、おそらく紀元前2500年から紀元300年代にかけてつかわれた古代文字で書かれた、太陽神や地母神への祈りの言葉をもつ神殿だったと考えられる。」
この文字を解読した人によると、「最高の女神が、シュメール・ウルク王朝の最高司祭となり日の神の子である日子王子が神主となり、7枝樹にかけて祈る」という意味だそうである。(同上)
日本で見つかったメノラーと七枝樹のペトログラフ図形

下図:下関市の彦島杉田丘陵の巨石から発見されたメノラー。大正13年に発見されたこのペトログラフ(古代岩刻文字)はその後、九州大学考古学教室と下関市文化財調査会が調査したが、意味は全く解読出来ず「謎の絵文字」として放置された。
ところが、地元の郷土史家が「これは平家の財宝を隠した場所を示す絵文字だ」と地元新聞に発表したため話題騒然となった。
それがきっかけで、ついに解読に成功したという日本言語学会の吉田信啓氏の解読例(1982年8月)を参考意見として引用して見よう。

絵文字のルーツは、古代北方ツングース系の楔形文字に酷使しており、またシュメール系古拙楔形文字にあてはめても解読できると言う。「大地母神=ニンキ、司祭=パブラバール、日子=ピリギス、祈る=イルカガ、大王=パテシ、神殿=ラガール、神樹=ジャスラ、大地神=キムラ」と読めるという。
その意味は、現代意訳すると「最高の女神が、シュメール・ウルク王朝の最高司祭となり日の神の子である日子王子が神主となり、7枝樹にかけて祈る」となる。


 

 

2003年05月10日

 

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