初代教会に帰れ? 2
「初代教会に帰れ」というスローガンは、ルネサンスや宗教改革の時代のように、時代に閉塞感があって、昔の時代を回顧する風潮から出たものだと思います。
つまり、現在、時代は、パラダイムの転換を望んでいるということだと思います。
しかし、このスローガンが単なる復古主義でしかなければ、非常に危険だと思います。
イスラム原理主義運動によって、イランに革命が起こりましたが、結局、失敗しました。
時代の流れを無視して、昔に帰っても、単なる「反動」でしかないのです。
「反動」ではなく、「乗り越える」ことでなければ、改革は失敗するでしょう。
そのためには、現在の状況のどこがおかしくて、そのおかしい部分はどこに起源があって、どこをどう変えていくべきか、ということを丹念に調べる必要があります。
もし「初代教会に帰れ」を実現したいのであれば、教会史をよく研究して、教会がどのような戦いを経験して、どのような思想を異端として退けてきたのかを調べ、その同じ轍を踏まないように注意すべきです。
「初代教会において、誰も自分の所有物を主張しなかった。共産社会だった。」などという人が回りにいますが、これは、とんでもない間違いであり、この人が政治をやれば、19〜20世紀の共産革命の失敗を繰り返すことにしかなりません。
使徒の働きにおいて述べられている財産共有社会は、「自発的献品」によるもので、あくまでも「私有財産制」を基盤として持っていたのです。共産主義社会は、国家に所有権を独占させる思想であり、財産の献上は「義務」なのです。それゆえ、人々は財産を奪われるくらいなら、働かないほうが得だと考え非効率社会が生まれたのです。
私有財産制を認め、人々の所有欲、金銭獲得欲を認めなければ、商売も製造も成立せず、それゆえ、社会は立ち行かなくなります。
何事も歴史を知らず、過去の経験を吟味することがなければ、失敗するのです。
2003年05月06日
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