「自白」証拠捏造した人間に同じ刑罰を
富山県氷見市の男性(39)が2002年、県警に誤認逮捕されて服役した婦女暴行・同未遂冤罪(えんざい)事件の公判で採用された一連の証拠書類が明らかになり、捜査当局による「自白」捏造(ねつぞう)の事実がわかった。
男性が知らないはずの被害少女宅の克明な見取り図が作製されていたほか、男性宅から押収された凶器のナイフも、被害少女の証言とは異なっていた。・・・
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/false_charge/story/05yomiuri20070605it01/
(1)
富山県警がやったことは、一種の偽証罪である。
聖書において偽証者は、偽証によって被告が被った(被るはずであった)のと刑罰を受けなければならない。
どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。
もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。
さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行なわないであろう。(レビ記24・15-20)
偽証しかも国がやる偽証は、市民に対する最大の脅威である。
国による偽証から誰が逃れることができるだろうか。
市民が国の偽証から守られるためには、偽証をした関係者に、被害者と同じ刑罰を課すべきである。
そうすれば、国は軽々しく偽証できなくなるだろう。
国の権力乱用を防ぐには、この方法しかない。
(2)
「ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行なわないであろう。」
つまり、見せしめが命じられている。
社会には、見せしめが必要である。
キリスト教を捨て、人間理性に頼るヒューマニズムを採用した近代国家は、「偽りの良心」によって、見せしめを嫌う。
それは野蛮だと。
違う。聖書がはっきりと見せしめを命じているのだ。
犯罪を抑制し、市民を守るには、犯罪者に見せしめの罰を科すべきである。
(3)
「もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。」(レビ記24・19)
近代国家において、この「同害刑法」の原則は崩れている。
そのため、アンバランスが生じ、遵法的市民が危機にさらされている。
犯罪者だけが弁護され、被害者が法のもとで不利な状況に置かれている。
多数の死刑反対論者の弁護士が、本村さんの妻子を殺した鬼畜を弁護するために特別なチームを作って最高裁判決において死刑判決がくだらないように画策しているという。
とんでもない奴らだ。
人を殺した人間には、同じように死を与えよ!
そうしないとバランスが取れない。
まじめに法を守って生きている人間が、破る人間よりも大きな損害を被る社会は、犯罪者のための社会である。
犯罪が溢れても無理はないといわねばならない。
犯罪者を保護しておいて、「なぜ犯罪が増えているのか?」なんて言うべからず。
司法はバランスを重視せよ!!
2007年6月6日
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