存在論的に多、契約的に一 6
<Perter様>
ウイットネス・リーは、罪はサタンのペルソナ(人格)であり、体の中にはサタンが住むと言う訳ですが、対してイエスは青銅のヘビとして、罪はなかったが、罪の肉の様でサタンをご自分の体の中に捕らえ(「キリストが罪とされた」の解釈のようです)、十字架についた。
そしてサタンは十字架につけたまま(あるいは墓に残したまま)ご自分は復活された。これが肉を十字架につけることで、かくしてイエスはサタンに勝利した。
つまり十字架はサタンをご自分の体の中にトラップしてサタンを処刑するためのもの、というストーリーのようであります。こんな神学は他にあるのでしょうか?先生はいかが評価されますでしょうか?
<tomi>
まったく聖書の曲解であり、まともに信じるべきものではありません。
キリストの肉体には罪はまったくありませんでした。
もし罪があるならば、キリストは、ご自身のために処刑されなければならない。
自分が罪を犯したのであれば、他人の身代わりに死ぬことはできません。
そうすれば、我々の救いも無効になってしまいます。
これは、人々から救いを奪い取る忌まわしい異端です。
イエスは、人間の堕落した肉体を受け継がず、まったく新しい人類の初穂として、マリヤより生まれた。だから、イエスには原罪がなかったのです。
しかも、その生涯において、一度も罪を犯さず、律法を完全に守ったので、ご褒美に永遠の命を受け取ることができました。
もともと神はアダムとの間に契約を結び、「もしあなたが完全に私の命令に従いとおすならば、永遠の命を与えよう。そして、この地球をあなたの相続として与えよう。」と約束されました。
しかし、彼が失敗したために、彼は永遠の命も地球も受け取ることができなくなってしまった。
そこで、イエスがアダムの代わりに罪の代価を払い、律法を完全に守って、アダム契約を成就された。
そして、アダムにもともと与えられた約束をお受けになり、永遠の命と地球の相続者になられた。
我々人間は、アダムとの契約的一体を解消し、キリスト契約に入ることによって、キリストと一体化され、キリストの功徳を自分のものとすることができる。
我々は永遠の命を受け、地球を相続として受け継ぐことができる。
イエス・キリストは「天においても地においても、一切の権威が与えられた」と宣言された。
イエスは、神から相続地を与えられ、その実際の獲得を使徒とその弟子たち(つまり、クリスチャン)にゆだねられた。
我々クリスチャンは、地を受け継ぐために、伝道し、弟子を作らねばならない。
歴史を通じて、この過程が進み、ついにその終わりに全地を征服できる。
このようにしてサタンに勝利し、彼が不法占拠している土地を取り返すことができる。
2006年4月13日
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