反セオノミストの運命
律法を悪玉扱いし、自然法を賞賛する。
神が自ら「良い物で、聖である」と宣言されたものを、「悪霊の手によるもの」という。
神の啓示をしりぞけ、人間の知恵が編み出したものを喜ぶという反セオノミストの倒錯は、明らかに彼らが呪われる一歩手前にあると言うことを示しています。
「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。ああ。おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りがある者と見せかける者たち。・・・それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。」(イザヤ5・20-24)
ここで述べられている倒錯者と同じことをやっている反セオノミストがこれから陥る刑罰とは、
(1)火の舌が刈り株を焼き尽す
(2)炎が枯れ草をなめ尽くす
(3)彼らの根は腐れ
(4)その花も、ちりのように舞い上がる。
ということです。
(1)火の舌が刈り株を焼き尽す
彼らは、まず切り倒されていると聖書は述べている。
このような倒錯に陥っている人間は、すでに切り倒されて刈り株の状態なのだ。
そして、わずかに残されたその刈り株すらも、火災によって焼き尽くされる。つまり、徹底した崩壊が襲う。
(2)炎が枯れ草をなめ尽くす
ここでも同じように、彼らの現状が表現されている。
倒錯者は、枯れているのだ。
全国のディスペンセーショナリズムの教会を見て欲しい。
すでに頭打ちだ。むしろ減少傾向すらみられる。
彼らは枯草だ。
だから、炎がやってくると、勢いよく燃える。
反セオノミストの上には徹底した刑罰が襲う。
何もかにも炎によって嘗め尽くされる。
(3)彼らの根は腐れ
上は枯れて、下は腐れる。
根が腐れていれば、その植物は死ぬ。
だから、反セオノミストは死ぬ。
神の法をしりぞけ、人間の法を喜んでいるキリスト教は、必ず死ぬ。
(4)その花も、ちりのように舞い上がる。
花なんてもうすでにないのだ。
もう昔に枯れてしまった。
ディスペンセーショナリズムも一時は隆盛を誇っていた。
この200年の間に世界中で実を結んだ。
しかし、これらの花は枯れている。
ディスペンセーショナリズムの三大神学校は実質的にディスペンセーショナリズムを捨てた。学問的レベルにおいてディスペンセーショナリズムは崩壊した。
この死は、世界中の一般の教会に広がるだろう。
この枯れ花を襲う運命は、ちりのように粉々になって風がくると、舞い上がってどこかに消えてしまう、ということだ。
この倒錯の神学が完全消滅するのも時間の問題だ。
2004年6月21日
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