キリスト教再建主義に関するアメリカにおける誤解は、契約思想を理解していないことから発している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_Reconstructionism
批判者は、再建主義者が「姦淫や非行少年を石打刑に処せ」と命じるので、独裁的、全体主義的社会になるという。
これはまったくの間違い。
モーセが十戒と律法を与える前に、まず「合意」があった。
モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。
すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」それでモーセは民のことばを主に持って帰った。
これは、出エジプト記19章である。十戒及び律法は、20章以降である。
つまり、戒律は、合意の上で与えられたということだ。
律法は、契約の中にいる民に与えられた。
だから、それは、全体主義ではない。
我々は、宗教多元主義の社会に対して旧約律法を適用せよと言っているのではない。
その国全体が神との間に国民契約を結んだ場合に適用されると述べているのだ。
ただし、国民契約が結ばれる前であって、国民の選挙による合意により聖書律法を適用することを主張する議員や政党に部分的に合意する場合には、それを法律にすることも可能だ。
その場合、反対意見を持つ者が多数派を占めるならば、再建主義者を選挙で落とせばよい。
つまり、我々は、あくまでも合意によらずに何事も行わないと述べているのだ。
我々は革命を起こすことを望んでいない。
合意によらずに事を進めて、誰が得をするのか。
神の命令は、絶対である。
しかし、その命令を絶対と考えていない人々が多数派を占めている場合に、それを強制することは、方法として間違いだ。
それは、現行の権威を無視するからだ。
神が望んでおられるのは、「心から望んでいる場合」だけだ。
神はレイピストではない。
我々が、神の国を拡大する方法は、あくまでも「祝福」による。
神はアブラハムに対して「あなたを通じて世界の諸民族が祝福される」と言われた。
アブラハム契約に属する人々、つまり、クリスチャンは、祝福のために活動するのであって、強制や呪いや奴隷化のためではない。
イエスは、「剣を取る者は剣によって滅びる。剣を鞘に収めなさい」と言われた。
国家の法律の改正は、あくまでも聖霊による恩寵の一つである。
全世界が聖霊による恩寵に埋め尽くされる中で、具体的に法律が変更されるとするのが、我々の基本理念だ。