聖書を前提としない集団はカルト化する


切迫終末論を中心に人々を集め、彼らを導くやり方は非常に不健全である。

私は神学校時代に、ある有名な牧師の教会を訪問した。若者がたくさん集まり、活気に満ちていた。

この牧師は本当に親切でよくもてなし、聖書的なメッセージで素晴らしい牧会をされたと思っていたが、ただ、今のほとんどの教会がそうであるように、切迫終末論で人を集めていた。

「もうすぐ再臨です!携挙です!」と。

最近彼の教会の様子がおかしいという評判を聞いたので調べてみると、セクハラや暴力で裁判沙汰になっているという。

あの牧師がそんなことするはずがないと思う。

もしくは一時的にサタンに攻撃されて踏み誤ったのか?

こういう事件が起こった場合に、サタンに取り付かれた人々が偽証して訴えている場合があるから早まって判断しないようにしたい。

悪魔は本当にひどい攻撃を続けている。

我々は注意しないと足をすくわれる。

切迫終末論は、非聖書的であり、それゆえ、悪魔に隙を作ることになる。

この教えで人を集めると、どうしても内向きになる。

外に向かって働きかけることがなくなる。

働きかけはもっぱら「伝道」である。

オウムがハルマゲドンの終末思想で若者をたぶらかし、内向きの集団を作って、次第に異常化したように、「自分たちだけが正しい。自分たちのサークルに入らないと救われない」と説きはじめたらもう立派なカルトだ。

どのような運動でも、党派心を抱いて、内向きのグループを形成すると、異常になる。日本人はこの傾向が強い民族である。

集団に属すると気が大きくなって、異分子を排除し始める。


党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。(ローマ2・8)
他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。(ピリピ1・17)
肉の行ないは明白であって、次のようなものです。・・・党派心・・・(ガラテヤ5・19-20)

我々が重んじなければならないのは、「聖書が何を言っているか」ということだけである。

そして、聖書と矛盾しない科学的真理である。

「あれ、すでに聖書だけと言っている時点で党派を作っているではないか」と言う人がいるだろう。

聖書にしたがって人を分けることは、党派心ではない。

それは、科学的真理によって真偽を分けるのと同じである。

聖書は神の御言葉であり、それは真理である。

聖書によるのではなく、人間の言葉、集団のテーゼなどによって他者を拒否し、迫害するようになることがこの聖句において批判されているのである。

どんなに素晴らしい牧師や教師であっても、自分たちだけで閉じこもり、社会への働きかけ、科学的真理に目を閉じるようになれば、異常化し、しまいには事件を起こすのだ。

共産主義は、人間の言葉の絶対化であり、それゆえ、カルトである。

こういった集団の魔術にはまらないためには、聖書に固執し、聖書を前提として、すべての事柄を判断することである。

 

 

2009年2月8日

 

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