権威に逆らう者は裁かれる
サタンは反逆者である。
教会において起こる反逆の根源にはサタンがいる。
平然と牧師の悪口をいい、悔い改めを勧めても逆にののしりの言葉が返ってくるようになれば、もはや牧会の領域から離れて、神の領域に入ったと言える。
こういった問題は何度も経験してきたが、反逆者は刑罰を覚悟しなければならない。
彼はあまりにも盲目になり、一体誰に逆らっているか知らない。
牧師とは、神の言葉を取り次ぎ、神の群れを牧するために神からじきじきに召された権威なのだ。
神が立てた権威に逆らう者は神に逆らうのと同じことである。
もしその牧師の言っていることややっていることが間違いであれば、謙遜になって悔い改めを求めるべきだ。
それでも言うことを聞かないならば、平和のうちに出るべきだ。砂をかけて出てはならない。
聖書では、権威に逆らう人間を神の敵として扱っている。
ダビデは彼に言った。「状況はどうか、話してくれ。」すると彼は言った。「民は戦場から逃げ、また民の多くは倒れて死に、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」
ダビデは、その報告をもたらした若者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どうして知ったのか。」
報告をもたらした若者は言った。「私は、たまたま、ギルボア山にいましたが、ちょうどその時、サウルは槍にもたれ、戦車と騎兵があの方に押し迫っていました。
サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい。』と答えると、
サウルは私に、『おまえはだれだ。』と言いましたので、『私はアマレク人です。』と答えますと、 サウルが、『さあ、近寄って、私を殺してくれ。まだ息があるのに、ひどいけいれんが起こった。』と言いました。
そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました。」
すると、ダビデは自分の衣をつかんで裂いた。そこにいた家来たちもみな、そのようにした。
彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。
ダビデは自分に報告した若者に言った。「おまえはどこの者か。」若者は答えた。「私はアマレク人で、在留異国人の子です。」
ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」
ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」そこで彼を打ち殺した。
そのとき、ダビデは彼に言った。「おまえの血は、おまえの頭にふりかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油そそがれた方を殺した。』と言って証言したからである。」 (2sam 1: 4-16)
主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、「それは、『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。(出エジプト記17:14−16)
あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにしたことを忘れないこと。彼は神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落伍者をみな、切り倒したのである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。(申命記25:17−19)
ミドラシュの口伝によると、アマレク人は「イスラエル人(囚人と死体)の割礼された男根」を切り取り、それを空中に放り投げ、ヤーウェに対して猥褻な呪いの言葉を浴びせました。「おまえが欲しいものはこれだ。おまえが選んだものを受け取るがよい」。このような行いによって、彼らは極度に神に憎まれる者となりました。この伝承は申命記25章18節「あなたのうしろの落伍者をみな、切り倒した」に由来しています。これは、出エジプトの旅の途中レフィディムにおいてアマレクがヘブル人を悩ませたことを暗示しています。6
「後ろの落伍者を切り倒す」という動詞の語形は「去勢する」という意味も示します。また、それがヨシュア記10章19節(申命記25章18節以外の唯一の例)のように軍事的な象徴として使用された場合は、キング・ジェームズ訳のように、落伍者の中で「もっとも後ろを歩んでいた人」という意味にもなります。どちらの場合もこれは軍事的用法を持つかもしれません。しかし、アマレクがイスラエルの男性を去勢したとする古代の伝承は恐らく真理を伝えているのでしょう。アマレクの行為を去勢と解釈すれば、アマレクに対してなぜ神が怒られたのか、また、なぜアマレクに対して恐怖が宣告されたのか理解できます。アマレクの行為の中に冒涜と邪悪さが併存していたからです。アマレクがイスラエルを憎んだのは、まずなによりも神を憎んでいたからです。アマレクのイスラエルに対する極端に邪悪な行為の原因はここにあったのです。この邪悪さは、エステルの時代にハマンがユダヤ人を皆殺しにしようとした謀略の中にも見られます(エステル3章)。
http://www.path.ne.jp/~millnm/amalek.html
2005年2月21日
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