牧師のあら捜しをするサイト
なんだか牧師のあら捜しを実名でやっているサイトがあった。
「牧師は、人一倍聖い生活をし、清貧を尊ばねばならない」だと。
自分がそれをやってるなら、話を聞こうか。
新約時代において、祭司職はない。万人が祭司だ。
だから、万人が牧師だ。
牧師に厳しい基準を要求するなら、自分がまずやれという話だ。
昔、「tomi先生にはその日暮らしで満足してほしい」という信徒からのメールがあった。
自分がまずやって模範を示したまえ。
自分がその日暮らしをして、牧師連中に「さあ、このように福音を伝えるためにアルバイトなどをせずに赤貧に甘んじる生活をしてください」と言いたまえ。
できないくせに。
自分がまともなペイをもらって文明的な生活をしながら、牧師には清貧に甘んじろと?
こういう自分のことを棚にあげて人を誹謗中傷する人間にはろくな人生がまっていない。
とくに牧師とか働き人をないがしろにする人間が祝福を得られるはずがない。
交わりとは、霊的なものを受け取ったら、それを物質的なものでお返しをするということで成立する。
レビ族と他の部族の関係はこの関係だった。
今の教会では、レビ族が提供した情報、霊的な洞察に対して、まったく返しがないから、交わりが破壊されているのだ。(情報を受けたらその働き人に借金していると考えるべき。それを望まないなら、その人から情報を受けるな。)
しかも、非難の言葉である。
インターネットがあるからなおさらたちが悪い。
インターネットを使って、牧師を中傷するなら、それだけの献金をそれらの牧師にしているんでしょうね。
ささげることもせず、しかも、誹謗中傷?
やらずぼったくりかね。
2009年8月17日
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