無駄なことは一切ない


タレントの真鍋かをりの母親は、私の中学の同級生である(厳密にはクラスはずっと別だったが、学校が大きくなかったのでよく知っている)。

先日、中学時代の別の友人から聞いてびっくりした。

知らぬ間にこんな大人の娘がいる年齢になってしまった。

その友人との会話。

「こないだ同窓会の打ち合わせで新宿で会ったよね。あれいつだっけ?」

「20年前だよ」

ぎゃふん。

感覚から言うと、20歳までの時間は、最後の20年間の2倍か3倍いやそれ以上あった。

最後の20年間はすさまじく早い。

33歳くらいまでは、伝道やら信徒のお世話やらなんやらで毎日人と会い、いつも集会を開いて教会のいろんな活動に忙しかった。

それ以降は、とにかく勉強させられた。地方教会に派遣されてから、毎日Institute of Biblical Lawなど10ページ以上精読した。仕事も忙しかった。

今の正直な気持ちは、聖書的な世界観を構築する以外の一切のことを避けたい、ということ。仕事としては、翻訳のように新しい領域の知識が身につく知的な仕事ならば耐えられるが、それ以外の、会社に献身・埋没させられるような仕事は絶対にできない。

これは選びだと思う。だから他のことをしたくてもできない。雑用も徹底して避けたい。ある任務のために聖別されている自覚のある献身者ならこの気持ちはわかってもらえると思う。

若いころは、まだ自分の使命やルートがはっきりしていないから、いろんなことができるが、不惑の年齢を過ぎると、自分の人生で与えられた仕事以外できなくなるようだ。

昔、人生行路全体を委ねたならば、神がすべての行程を決定してくださる。無駄なことは一切ないと信じる。

 

 

2008年4月14日

 

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