歴史的孤児になった現代の教会
新約聖書の写本は、90%がマジョリティ・テキスト、ビザンチン写本であった。今我々が使用しているのは、シナイとヴァチカンというマイナーなアレキサンドリア型写本だ。
マジョリティ・テキストは、19世紀まで2000年の教会史のほとんどの時代において圧倒的大多数のクリスチャンに利用されてきた。
何かが歴史上多数派をしめ、長いこと利用された場合、それには何らかの意味があると考えるのが普通だ。
製品として生き残る場合、それは、利用価値があるということの一つの証拠ではないか。
我々がアレキサンドリア型写本を使用しているのは、携帯の時代に、ポケベルやPHSを使用しているようなものだ。
ポケベルやPHSは、利便性の点で携帯よりも劣っていたために生き残れなかった。
歴史の試練に耐えられなかったということだ。
このような歴史の中で淘汰された写本を我々が今使用しているということはどういう意味があるのだろうか。
もう一つ、後千年王国説(ポスト・ミレ)は、教会史の中で圧倒的に優勢な終末論であった。
19世紀以前、そして、19世紀を通じて支配的であった。
世界宣教はポスト・ミレの楽観的歴史観に支えられてきた。
ある時から、突如、プレ・ミレが支配的になる。
「この世はサタンに支配されており、クリスチャンは彼に勝てない。だから、再臨を待つしかない。」というカルト的な教義が教会を席巻した。
今の時代は、教会史的に見れば異常な時代である。
マイナーなものが復活して、メジャーを圧倒した時代だ。
どうしてこのような転倒現象が起きたのか。
この2つには共通点がある。
それは、イルミナティである。
アレキサンドリア型写本を教会に採用させた背後には、ウェストコットとホートというロスチャイルドの仲間がいた。
ウェストコットとホートが選んだヴァチカンとシナイ写本に基づく聖書は、フリーメイソンであるロックマン財団を通じて世界中にばらまかれた。
今日KJVを除けば、ほとんどすべてがウェストコットとホートの聖書である。
終末論について言えば、プレ・ミレ=ディスペンセーショナリズムの教義を作ったのは、ラクンザことベン・エズラというユダヤ系イエズス会士である。
www.millnm.net/qanda3/63W7kQRXG1io03649.htm
ジョン・コールマン博士によれば、イルミナティ=フリーメイソンの三百人委員会の方針に次がある。
(13) イギリス東インド会社の奉仕人ダービーがはじめたキリスト教原理主義を引き続き奨励する。
2010年7月2日
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