冷遇したら誰も献身しなくなるぞ


日本の神学校の教師が献身者の卵に対する態度は、劣悪である。

「鍛えてやるぞ」というのはいい。しかし、鍛えること=冷たくすることではない。

神学生の訓練は、日本の世俗の徒弟制度、部活動のようである。

半ばいじめのような冷たい人間関係の中でもまれるため、神学生たちは人の目を恐れるようになる。先生の言うことを丸ごと受け入れる以外にその集団に留まる道が存在しないかのような扱いを受けるため、「神を恐れる」という訓練がまったくなされていないままに神学校を卒業する。

信徒も、こういった冷たい処遇を真似て、献身者に対して冷たくしてもよい、というような風土ができあがっている。

イエスは、弟子たちに何をしたのだろうか?

イエスは、弟子たちの足を洗われたのだ!

日本の神学校と逆である。

牧師と神学生との間に愛の関係がないから、結局、信徒も教会において愛をもって神学生に接しなくてもよいと誤解するのだ。

牧師や神学校の教師は、献身者に対して、イエスが弟子たちに示したような愛を示さなければならない。

牧師同士、献身者同士の間に模範的人間関係がなくて、どうして信徒同士の間にそれが生まれるだろうか??

これまで数多くの神学生や献身者に対する冷たい仕打ちを見てきた。

「プロはどの世界でも厳しいんだ!」

たしかに。

でも、厳しいだけじゃ人間育たないでしょう。

ただでさえ、厳しい社会的経済的環境におかれているのだ。

その上、冷遇したら誰も献身しなくなるぞ。

 

 

2005年11月23日

 

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