我々は人々の心を変えることはできない
アブラハムは、バベルの塔の世界であったウルから離れました。
バベルの塔の世界、人々を変えることをあきらめなければならない場合があります。
神が道を示されたら、その指示にしたがってそこから出て、新しい道に踏み込むべきでしょう。
バベルの塔の人々は放っておいてもかまいません。
我々が全部変えることができるなんてことは考えるべきではない。
神がそれを禁止した場合には、それを続行することは罪になります。
6日働いて、1日休めと言われたのは、このことを意味しています。
たとえば、伝道した相手がクリスチャンになるまで執拗に説得を続けるなんてことは聖書的ではない。
聞く耳を持たないと分かったら、その村から出て、足のチリを払えとイエスは言われた。
伝道の試みは6で、足のチリを払って出ることは、1です。
最善を尽くしても、悔い改めない人々に対してまで責任を負うべきではない。
わたしは、伝道者として、具体的に人々を扱う仕事ですが、相手が悔い改めを拒んでいるならば、もはや対策はありません。だから、私は福音派を出た。
これは、逃避でしょうか?
私はそう思わない。
伝えることを伝えて改革のために努力したのであれば、結果は主にゆだねるべきです。
それ以上、やると自分を破壊することになります。
それは、別の意味の傲慢であり、悔い改めを必要とします。
2010年7月2日
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