個人であろうと政府であろうと詐欺師は詐欺師である
(1)
郵政民営化への反対論に、次のような意見がある。
今まで日本の国債の価値を裏付けていたのは、郵便貯金・簡保の340兆円だった。それが、民営化によって、外国投資会社の運用に任されることになり、下支えの役割を果たさなくなるから、国債の価値が下がり、日本は韓国と同じようにIMFの管理体制下に入る。
これって、問題を摩り替えていないだろうか。
そもそも郵貯を当てにして700兆を超える借金をこしらえた政府の財務政策がおかしかったのだ。
小泉さんは、当初国債発行額を抑えようとしたが、大政府主義者たちの反対にあって借金を作らざるをえなかった。
私は、小泉さんの真意は今でも赤字財政の補填のために国債を発行するのを止めることにあると思う。国債に頼らない健全財政ができなかったのは、抵抗勢力による反対があったからだろう。
この民営化反対論者の主張は、「国債発行」を当然の前提としているから最初から狂っているのだ。
郵貯を守れと叫ぶ彼らの主張は、土地を担保に借金をしまくっていた人間が、土地を奪われることに反対しているのと同じである。
問題は、分不相応な借金をしていたことにあるのではないか?
(2)
ニューオリンズの洪水の責任を小さな政府に負わせる人々がいる。
彼らは、大きな政府でなければ、こういった災害に対応できない、と主張する。
そうだろうか。
今回の災害は、FEMAという災害対策組織から独立した権限を奪い、災害に迅速に対応できないシステムに変えた米政府のミスによるのである。
小さな政府か大きな政府かの問題ではない。
(3)
聖書は、「貨幣に混ぜものをしてはならない」と規定している。
貨幣に混ぜものをすることは、詐欺行為である。
国が、価値の裏づけのない金を発行することは、貨幣に混ぜものをする行為に等しい。
このような金が出まわることによって、インフレが起きる。
インフレが起きると、貯金は実質的に目減りするのと同時に、借金も目減りする。
だから、財政に苦しむ政府はインフレに逃げようとするのだ。
インフレを起すことによって、借金を減らそうとする。
これが詐欺でなくて何だろう。
私が経済のことを言うと、「宗教と経済とは別ものだ」という反応が返ってくる。
宗教に関する書物である聖書を実際の経済に適用するのはおかしい、と。
しかし、罪とは、不可避的に宗教的なのである。
経済にしろ、政治にしろ、根本には「倫理」がある。
それとも、個人がやる詐欺は罪で、政府がやる詐欺は罪ではないとでも言うのだろうか。
価値がないものを、あたかも価値があるかのように見せかけて売りつける者は、それが個人であれ、政府であれ、すべて詐欺師である。
2005年9月23日
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