クリスチャン教育に関する提言2


私の受けた教育は、知識偏重教育である。

知識偏重教育は、産業界に有益な人間を育てるという目標にそったものであり、クリスチャンの目標とは違うので有害である。

クリスチャンの教育目標とは、「よいお父さんになる」ということである。

よいお父さんとは、子供にきちんと模範を示せる、神の法を忠実に守る人である。

職業的にも、家庭的にも、「秩序がある」人間。愛情があり、言葉にも行いにも威厳がある、尊敬できる人間である。

私の父親は、陸軍の将校訓練学校である士官学校に行ったから、規律ある生活のできる人間であった。

私の主任牧師も陸軍経理学校出身であり、同じように、規律ある生活ができた。

私があこがれるのは、これらの教育は、全人的であるということだ。

彼らは、生活全般において訓練された。

しかし、我々の戦後世代は、生活においてはほぼ野放しだった。

知識だけに偏り、人間の生き方という点ではほとんど何も訓練されていない。

しかも、60年代から、世界の風潮が反文化になり、それまで欧米で支配的であったキリスト教の聖書の規範に基づく全人的教育が日本も含め世界全体から消えた。

全共闘世代以後の我々、そして、我々の子供たちは、無規律の中に放置されている。

この傾向が続けば、ますます秋葉原通り魔殺人犯加藤のような理由なき犯罪者が増えるだろう。

「親に怒られてむしゃくしゃしたので誰でもいいから人を殺したかった」と車で人を跳ね飛ばした昨日の事件。

ある意味において規律の崩壊の風潮が生んだ鬼子である。

サタンは、音楽、教育、TV、映画など様々な文化を通じて世界から規律を奪おうとしている。

昔、ギリシアのある都市国家では、子供の教育目標は、戦士にすることであった。

明らかに国家の犠牲者である。

神が我々に命令しておられる教育とは、次世代において御国が拡大するための教育である。

だから、それは、全人的であり、ただ知識があればよい、会社で仕事ができる人間になればよいというものではない。

今の教育には、「倫理」がすっぽりと抜け落ちている。

倫理が抜け落ちた人間が増えれば、産業界も成立しない。

商取引において契約不履行が横行し、互いに疑心暗鬼になり、何をするにも多額の保険をかけなければならなくなる。

仕事をしていると、無規律な人間が増えたと感じる。

ちゃんと支払いしてくれるのか不安になる。

長年取引をしている客でも、小さな騙しが随所に入るので、油断できない。

モンスターペアレントの跳梁。

誠実という日本人の美徳がどんどん失われている。

結局、こういった不誠実、不義理、仁義の欠如は、最終的に国力を奪い、産業界も衰退することになるのだ。

だから、知識偏重、技術偏重は実を刈り取る。

企業は、利益を最優先し、社員に単身赴任を課し、家庭を破壊し、その結果、子供の教育ができない状態にしてきた。

目先の利益を優先し、社会全体の長期的な発展を目指さない企業は、神の国を破壊するので、最終的に破滅する。

親会社が未曾有の利益を上げているのに、下請けにコストカットを要求し、社員に過剰な労働を強制してきた企業は、どんなに大きくなっても、衰退する運命にある。

それもこれも、規範がなかったということに原因がある。

全人的な教育が行われてこなかったために、すべてが崩壊している。

だから、無神論教育は、社会を自滅に導くのだ。

聖書を規範として選択しない限り、文明は崩壊する以外にはない。

家庭は文明の基礎であり、聖書の戒めの大多数は家庭に関するものである。

よいお父さんを養成しない教育は、長期的にみて、亡国の教育である。

クリスチャン教育は、知識だけではなく、生活、道徳、体力など、全人的な訓練を行うものでなければならない。

 

 

2008年11月12日

 

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