刑務所制度はいずれ破綻する



刑務所“満員”超す116%、受刑者7万人突破 - 読売新聞
  国内の刑務所や拘置所などに収容されている受刑者が、7月末現在(速報値)で7万737人に達した。7万人を突破したのは終戦直後の混乱期(1948〜51年)以来。

聖書は、犯罪を「罪」として扱い、犯罪者に「償い」を求めるが、ヒューマニズムは「欠陥」として扱い、犯罪者に「矯正」を求める。

犯罪への処罰は、被害者のためではなく、国家のためである。

国家が被害者の代わりに賠償を求めるということではなく、国家は、自らの理念・理想のために犯罪者に矯正を加え、更生させることを目的としている。

被害者は蚊帳の外である。

刑務所制度は、この「矯正」「教育」のために作られた制度であって、「償い」の制度ではない。

ヒューマニズムの国家主義の体制の中において、犯罪者と被害者の間の関係よりも国家と犯罪者の間の関係のほうが重要であり、賠償については各自被害者が行うべきものとされている。

つまり、国家は国民の利益を守っていないのである。

そして、余計なことをやっている。

刑務所制度とは、「人間は刑務所での拘禁生活という罰によって矯正され、まともな人間になる」という信仰に基づいており、「人間の手だけによる解決」というヒューマニズムの理念を実現するための制度なのである。

それは、神の解決法を拒否し、人間が考えた解決法による理想社会の実現を目指す手段である。

人間王国は破滅する。なぜならば、この世界は神によって創造されたからである。神の創造である以上、救いは神からのみ来る。人間が神を除いて解決しようとしても無理である。

人間は、神の指示にしたがって、問題を解決しなければならない。刑務所制度は、犯罪の増加に伴って収容不可能になり、破綻する。

犯罪者を養うために税金を使うことに国民は耐えられなくなる。

解決は、聖書の指示のとおりに、「賠償をさせること」である。

被害者の代わりに警察の強制力を発揮し、犯人を逮捕し、被害者の被害規模に応じて賠償をさせることである。もし資産がなければ、強制労働をさせて弁済させるのである。

「目には目を」である。目が損なわれたら、それと同じ価値の金額を支払わせることである。

殺人犯については、「賠償にあたいするもの」は存在せず、金で贖うことは不可能である。

「あなたがたは、死刑に当たる悪を行なった殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない。」(民数記35・31)

故意の殺人に対しては死刑を適用すべきである。

「賠償労働」と「処刑」によって対応する以外に、犯罪を処理することはできなくなるだろう。

刑務所を増設すると、刑務官などの増員が必要になり、ますます財政を圧迫するだろう。

アメリカのように民間の刑務所を増設しても同じである。刑務所施設の維持費の増大は、「国民に二重の不利益をもたらす」ことになる。

国民は犯罪によって一次被害を受け、刑務所収容費をまかなうことによって二次被害を受ける。

刑務所労働によって、刑務所施設の費用と賠償の二重の負担を受刑者に負わせればよいのである。

今の法律は、「国家主義的」であり、国民よりも国を主な受益者とする法律なのである。

聖書的に改革し、国民の利益を優先する法律に変えるべきである。

 

 

2006年9月16日

 

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