人生を台無しにしないために―ディスペンセーショナリストへの勧め
<ストレイ・シープ様>
山谷大尉は何やらファンタジまがいの説を唱えだしましたね。あくまでも律法は悪霊的なものであって、律法と悪霊と主の十字架の関係を論じるんだそうです。
今読んできましたが、やっぱ、私の頭が悪いためでしょうか、サッパリでしたね。そもそもパウロは律法は聖であり、良いものだと言っているのに、何ゆえ悪霊のものとなるのでしょうか?
同じ聖書読んでいて、何ゆえにこれほどに違いが出るのでしょうか?大尉殿の頭の構造が気になります。
<tomi>
聖書を素直に読まないという悪い病気が治ってないようですね。
聖書を読む前提として、しもべである人間は心をからっぽにしなければなりませんが、彼は、自分の勝手な意見がまず頑固に頭の中にある。
そして、それを捨てずに読み進むから、自分の意見と矛盾した個所を全部すっとばすんでしょう。つまり、神の上に立っている。
これは山谷さんだけではない。
ディスペンセーショナリズムの人々は大なり小なり同じことをしているんです。
スコフィールド自身、「イスラエルは、誤って律法を受け入れてしまった」と述べているし、律法は悪魔が与えたという人の論文も読んだことがあります。
今の福音派の大多数がディスペンセーショナリズムに冒されているという事実は、「今の福音派はほとんどが神を主として受け入れていない」ということと同義です。つまり、背教の集団ということです。
今定期的に家庭集会に招かれて、そこでメッセージをさせてもらっているアメリカ人の夫婦がいるのですが、彼らは、ディスペンセーショナリズム中のディスペンセーショナリズムで、ダービーをこよなく尊敬し、彼の著書を愛読する人々ですが、私は堂々とセオノミーやポスト・ミレを主張しています。
とくに奥さんが私の意見に対してまっこうから反対し、私が家を出るやいなや、すぐにバシッと鍵をかけて、玄関の電気を消し、まるで疫病神を追い立てるようにするので、「本当に私は招かれているのだろうか?」という印象を持ちながら帰ります。
しかし、最近、ご主人がまずラッシュドゥーニーの本を買って読んでおられるし、他にも私に読むべき本を推薦して欲しいと言っておられるので、変化の兆しが見えます。
私がこのように自分の立場を主張してもなおも招かれているということは、恐らく神様が彼らを変えようとしているということだと思います。
この奥さんは「この世は変わらない。いや、むしろ終末の兆候はいたるところに見える」と私に言います。
しかし、私は、「聖書は少しのマイナス思考でも頭の中に取り入れると、サタンが働く」と言います。「信仰によって見えないものを見るのがクリスチャンの生き方だ」と。
彼らは反論できません。
ディスペンセーショナリズムには、まったく理由がないのです。聖書的根拠はまるで何もありません。
私の実家の家族が通ってきた教会はみなディスペンセーショナリズムの教会でしたから、父母をはじめ妹の家族もおじやおばもみなディスペンセーショナリストです。
だから、私の活動はまったく評価されておらず、「勝手にやってるんだろう」と考えているようです。事実、私がインターネットで書いたものを送ると、「もう送るな」と父親からも妹夫婦からも言われています。
話し合おうというと、「もう聞きたくない」という拒絶の反応をされます。
どれだけ、キリスト教界はサタンに騙されてきたか!ということです。
なぜならば、今、まともに信仰生活をしていると自分で考えているディスペンセーショナリストたちは、ひとたび私との議論に巻き込まれると、結局のところ、山谷氏と同じ結論「律法は悪魔的だ」に至らざるをえないからです。
議論は、それまであいまいであったり隠れていた自分の立場を鮮明にあぶりだしてくれます。
セオノミーに逆らえば、結局のところ「律法悪玉論」を持ち出さざるをえないし、また、ポスト・ミレに逆らえば、人々に向かって「あきらめろ」という不信仰しか言えなくなる。
だから、再建主義と戦うことは危険なのです。
自分の立場が鮮明にあぶり出されるということは、つまり、神から「おまえはどちらを取るか?」と問い直されることを意味するからです。
そこで頑固にディスペンセーショナリズムを取りつづけると、神に向かって「私は律法は悪魔的だと思うし、信仰によって明るい未来を待ち望むこともできない」とはっきりと宣言することになるので、「自分が悪魔の陣営にいることを宣言することになる」のです。
つまり、悪魔に対して大きな隙を与えることになるのだから、とんでもないことをやり出す。
これまで、私と議論して頑固に自分の立場を貫いた人が、「この人頭がおかしくなったんじゃないか?」と思うようなことをいろいろとやりはじめます。
悪魔に憑依されて人生を台無しにしないためにも、再建主義と議論したら、潔く自分の立場を捨てて、こちら側に来て欲しいと思います。
2004年6月12日
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