聖霊の力の体験


<M様>
富井様は聖霊のお力を、実際にお感じになった事が何回かおありになったことと思
われます。もしよろしかったら具体的にお話しくだされば幸せに思います。私は聖書
の音信に触れてからすでに25年くらいたちます。きっかけはモルモン教の宣教師でし
た。次にエホバの証人と交友を深め、さらにセブンスデイアドベンチストとかかわり
を持ちましたが、いずれもそれぞれの組織や教理について納得がいかず、従ってどこ
の教会にも組織にも所属せずに、ただひたすら個人研究と聖書通読のみに費やす毎日
であります。 

<tomi>
聖霊を最初に感じたのは、今から30年ほど前に、はじめて口語訳聖書を読んだときでした。あれはほんとうに生まれ変わりの体験と思います。

また、この再建主義の働きを決意するときには、毎日聖霊の強い臨在がありました。

人が救われるときにも、聖霊を感じます。神が聖霊によって働いておられるので、すべてが偶然ではなく、奇蹟と感じられるのです。

2年前、ある自殺志願者に伝道して救われたときは、本当に異次元の空間を感じました。何か夢の中にいるような、天の雲の中ですべてが起こったような体験でした。個人伝道をすると大なり小なり、このような感覚があります。

この人は、長い間、少し過敏な性格のゆえに、学校に適応できず、高校を中退し、仕事もうまくいかず、大きなストレスの中にありました。

親に対する憎しみから閉じこもり、対人恐怖のため、自殺を考えるほどに落ち込んでいました。様々な非行に走っていたそうで、その際に受けた様々な霊の憑依に悩まされていました。寝ていると金縛りにあい、耳元で悪霊が「死ね、死ね」とささやくそうです。臆病な性格なので、びくついているとますます悪霊は面白がってやってきました。

「今から考えると、あの時代は、サタンにいいように蹴りまわされていた」と言っています。

私が、「イエスさまは天地の王であり、クリスチャンも王だから、何も恐れる必要はない。霊は恐れると喜んでいじめてくるから、金縛りにあったら、イエス・キリストという御名を唱えていれば、大丈夫だよ。」と教えてそのとおりにすると、霊はすーっと消えていったということです。それ以来、ほとんどそのようなことは起こらない、起こってもイエス・キリスト、イエス・キリスト、イエス・キリストというと消えていくそうです。

この人は、とにかくマイナス思考で、どこかで地震や戦争があると、それが自分にも起こると考える傾向がありました。たとえば、関東で地震があれば、自分が死ぬのではないか、とか、北朝鮮の軍事行進を見ると、北朝鮮が日本に攻めてきて自分がまっさきに殺されるのではないか、とか。

そこで、「こういったマイナス思考がサタンに隙を与える。日本人でここ10年間の間に地震で死んだ人は1万人にも満たないのだから、1億分の1万未満の確率でしかないものをおびえても仕方がない。自分は大丈夫だ、というプラス思考を心がけるのが大切だと思う」というと、そのように考えるようになりました。そうすると、サタンも攻め込みにくになって、心配性は次第に治ってきました。

こういった電話カウンセリングを毎日8時間程度1ヶ月ほど続けているうちに、過去のトラウマとかが消えていきました。

今は、強い信仰を持っています。

イエス・キリストを信じた人は、最高の人生を歩み、大きな仕事をするために神に永遠の昔から選ばれた人であり、王であり、サタンを支配する力を持つ者であるという理解は、人間を大きく解放してくれます。

「ダメだ。ダメだ。おまえはツマラナイ人間だ。人生何もうまくいなかない。」というような台詞は、サタンが吹き込むものです。

クリスチャンは世界の王なのですから、そういったマイナス思考を心の中から一掃する以外に、サタンの呪縛から解放されることはありません。

過去の罪とかトラウマとか失敗体験とか、一切を捨ててしまうには、「可能性の歴史観」を持つ以外にはありません。

これこそ聖霊の教えであり、健全な教えだと思います。


伝道集会での聖霊の働き、個人伝道での聖霊の働き、数えきれないほど体験してきました。

私が大学に入った頃、大学の聖書研究会や、教会でも非常に劇的な聖霊の働きがあり、たとえば、聖書研究会の部室に入るだけで、大きな喜びと祝福を感じました。

そこに集まっていたクリスチャンの素晴らしい証しと、ウソや虚飾のない真摯な交流を通して、天国とはこのような場所なのだろう、と感じられるほど聖霊の豊かな働きがありました。次々とノンクリスチャンが救われていきました。

長い間ノンクリスチャンのままで頑張っていた人、クラブに参加している人が救われるのを見るのは非常に素晴らしい体験でした。




<M様>
聖書では古代イスラエル人はモーゼス率いる神の組織の一員であったればこそ救われ
たということを示しています。 箴言では− 自分を孤立させるものは利己的な願望
を追い求める− とあります。しかし、クレイグ ザンカーの−孤立した状態にいる
と神を身近に感じるものです。そしてバプテズマはきわめて重要なものであるが、救
いの保障では有りません。イエスは−バプテズマを受けた人はみな救われる−とは言
われずむしろ−終わりまで耐え忍んだ人が救われる者−と言われました。ーという言
葉も理解できます。 どこかに所属してバブテズマを受けないと聖霊の導きは望めな
いのでしょうか。 それともうひとつ、もし今、富井様が真の神とお話しがおできに
なったとしたなら、富井様は何をお話しになりますか。 お忙しいと思いますがよろ
しくお導きください。

<tomi>
キリスト教の一つの大きな特徴は、「一と多」にあります。
キリスト教は、「個人の宗教」であるのと同時に「集団の宗教」でもあります。
聖書では、「集会を持ちなさい」と命令されていますから、地方教会に加わることは正常なことです。
私たちは、弱い者なので、一人ぼっちになると、サタンによって痛めつけられます。

教会の兄弟姉妹の交わりの中において、祈りによって互いに支えあうことが重要です。
そうすれば、自分の周りに大きなバリアができて、サタンが近づきにくくなります。

しかし、教会から離れたクリスチャンは、支えがないために、容易にサタンに騙されて、おかしな信仰になったり、非クリスチャン的な行動に走るようになります。

神ははっきりと洗礼と聖餐を受けるように命令していますので、聖書信仰の正統的な教会に籍を置かれることをお勧めいたします。

 

 

2004年11月15日

 

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