政教分離の陰の意図


政治は、不可避的に宗教的である。

その証拠に、聖書の禁止事項と法律のそれとが領域を同じくする場合がある。

たとえば、殺人罪について、聖書も主張する。

「人の血を流すものは、人に血を流される」とか。

だから、政治は政治、宗教は宗教などと分離など絶対に不可能だ。

イエス・キリストは万物の主として世界に君臨しておられるというのが聖書の主張である。

それなのに、クリスチャンが政教分離を認めるならば、「イエス・キリストは政治の分野では主ではない」と主張することになり、実質的に偶像礼拝者になる。

この宇宙のごく一部でも、イエス・キリストの主権を拒否するような人間はクリスチャンでもなんでもない。

クリスチャンとは、あらゆる領域においてイエス・キリストを主として礼拝する人間である。

だから、政教分離などを唱えるクリスチャンがいれば、即刻教会を去るべきだ。牧師はそのような人を除名すべきだ。

しかし、実際は、ほとんどの教会が政教分離を唱えている。

これはなぜか。

フリーメイソンである。

フリーメイソンがやろうとしていることは、キリスト教から「主権性」を奪うことである。

宗教と世俗を分離して、キリスト教を宗教分野に閉じ込めること。

そして、世俗の分野を人間が独占すること。

政治については、人間が主権者となって世界を神抜きで支配すること。

だから、政教分離と共産主義は密接に関係している。

全部、ごまかし。

政教分離も共産主義も。

「キリスト教は、政治にタッチするな。」と信じ込ませて政治に関する律法や教えを無効化し、人間による人間のための人間の政治が実現する。

人間だけのための政治は地獄を作る。

人間が主になるから、為政者の都合で人が虐待される。

個人の権利が守られない。

今の中国のようになる。

神を追い出して人間だけの国を作ればユートピアが来るなどと考えている人間は、まことに知恵がないとしかいいようがない。

歴史が証明しているではないか!

なぜ歴史に学ばないのか!

政教分離は幻想である。

政治は、聖書によって管理されなければならない。

そうしないと、ピューリタンによる政治運動を一つの主要動因とする市民革命に基づく近代国家において獲得された様々な権利が国家に奪われ、国民は奴隷化される。

聖書は、国家の権限を制限するから、聖書の原理を奪われると、人間の暴走が始まる。

政教分離には、そういう陰の意図があるから注意しよう。

 

 

2010年11月25日

 

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