Sさんの教会は再建主義の代表ではない2


それから、一つ言えることですが、今の諸教派の我々への対応には2種類あるということです。

それは、

(1)再建主義者の態度につまづいた

(2)聖書の教えそのものにつまづいた

(1)はこちらに問題があることも認めますが、どうも私には、(2)がほとんどのケースではないかと思います。

山谷さんのケースがそうです。

山谷さんは、我々に躓いているというよりも、聖書の教えそのものに躓いている。

これまで教会を支配してきた常識は、「律法悪玉論」です。悪玉というのが言い過ぎならば、「律法悪印象論」です。

つまり、律法って聞くと、「律法はクリスチャンから自由を奪うもの」と連想させるような教育が教会においてずっと200年くらい続いてきた。

こういった誤解が今日のクリスチャンを律法嫌いにしてきたのだと思います。

しかし、何度も言うようですが、律法は神が与えたものであり、神は自由の神としてイスラエルを幸せにしようとして律法を与えたのです。

ですから、聖書を丹念に読めば律法に悪印象を持つ必要はない。

今、キリスト教が、半ばカルトのようになってしまったのは、聖書の中で中心を占める律法に対して悪印象を持ち、できるだけ触れないようにしたからにほかなりません。

そこにサタンがつけいって、神の法に代わるものをいろいろと提供して、あたかも「律法よりもよい法」であるかのように見せてきた。

そのため、クリスチャンですら、「神の法に縛られるよりは人間の法に縛られたほうがよい」と考え、そのために、教会の中がめちゃくちゃになった。

こういった固定観念はなかなか取れません。

それから、もう一つは、ポスト・ミレです。いま、ほとんどのクリスチャンが、「世界の終末は近い」という考えに支配されています。

これによって、クリスチャンは浮き草になった。

申命記を見てください。

神はイスラエルに土地を与え、そして、その土地を手放させないように、様々な法律を与えられた。一時的に借金で土地を奪われても親族がそれを取り返すとか、ヨベルの年になったらご破算になりもとの状態に戻れるとか。

こういった規定は、「地球は神のものであり、神の目にかなった義人が支配すべきだ」という思想から出ています。

そう考えると、クリスチャンは積極的に土地を買うべきだし、その土地を神の御国建設のためにふさわしい施設を建てて、たとえば、教会、学校、病院、企業、孤児院などを建てて、次世代のクリスチャンを養い、さらに、大きな土地を次々と獲得すべきなのです。

これをサタンは非常に嫌ったために、マルクス主義というものを人々に信じ込ませて、「土地は国家のものだ」というような考えに迷い込ませた。

相続税によって、土地はどんどんと国家のものになっている。土地所有というのは、まず「支配の基礎」です。だからサタンはクリスチャンから土地を奪い取りたかった。

しかも、ディスペンセーショナリズムが入り込んでクリスチャンに対して、「この世は、我々の世ではない。我々の国は天にある。だから、土地も持つなんて無駄だ。もうすぐ再臨があるのにそんなもの所有したって何になる?」と吹き込んだ。

クリスチャンは土地なしになり、結局、教会を建てても、ノンクリスチャンから土地を借りたり、買ったりして、お金はどんどんノンクリスチャンに流れていく。

経済的な制約で、どれだけ神の国が停滞していることか!

クリスチャンは、土地を獲得すべきです。

そして、そこに学校を作り、キリスト教の原理オンリーで独自の教育を行ない、キリスト教の原理に基づく企業で子供を働かせ、キリスト教の原理で運営された病院で病人を癒す。

つまり、御言葉という城壁をしっかりと建造して、その中で、ノンクリスチャンの原理で動く社会とはまったく異なる社会を築きあげ、できるだけ聖書に基づいた生活ができるように工夫すべきです。

そうしないと、国の重税でクリスチャンはどんどん貧乏になり、クリスチャン企業はつぶされ、クリスチャンの子弟はノンクリスチャンの学校で、ノンクリスチャンの原理を叩き込まれ、次世代はすっかりノンクリスチャンになっていく。

こういうことでサタンは我々の未来をつぶしているんです。その結果がもうすでに見えているではないですか。

戦後リーダーシップを取った先生方は、たしかに尊敬に値するが、しかし、大きな間違いを犯した。

それは、「ノンクリスチャンの原理を無批判に導入した」という失敗です。

今や、我々は目を覚ますときです。このままだとクリスチャンはノンクリスチャンの支配に飲まれて完全に消滅してしまいます。

我々は神の軍隊なのですから、ノンクリスチャンの勢力に負けるはずはないんです。じゃあ、なぜ負けているかといえば、聖書に固く立たなかったからです。自分の知恵に頼ったから。

教会において私が「文化に優劣はある」といったら、牧師が「文化人類学では文化には優劣はないということになっているんですよ」と答えた。

これじゃあだめです。世俗の文化人類学は進化論に基づいており、相対主義です。

世界に基準などないという立場なんです。聖書はこんなこと言っていないでしょう。

聖書ははっきりと善悪の基準はある、そして、その基準にしたがってものごとを判断し、優劣をつけなければならない、と教えている。

人食い人種の文化とクリスチャンの文化とどちらが優れているか火を見るより明らかじゃないですか。

もう一度言いましょう。ノンクリスチャンの原理とはまったく違う「聖書の原理」で世界を徹底的に首尾一貫して解釈する以外に解決はありません。

中立なんてこの世には存在しない。

神か、サタンか、そのどちらかです。

なぜならば、この世界は「権力闘争の場」だから。

サタンは自分の覇権を確立しようとしている。そして、真空が生まれたらそこにすばやく入り込もうとしている。

この世界に神でもサタンでもない中立の領域があると考えている人は、この地上において真空の地域があると考えている人と同じなんです。

サタンはたえず我々の隙をねらって、そこに入り込もうとしている。彼らは権力獲得に血眼になっている連中です。だから、クリスチャンはのんびりしてはならない。

のんびりしてたら、あなたもあなたの家族も、子孫もみんな地獄の家系になってしまうかもしれませんよ。



 

 

2004年6月26日

 

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