我々は開拓者として生まれた
神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1・28)
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11・4)
我々は、テレビを通じて間違った理想を追求するように訓練される。
たとえば、住宅の宣伝に出てくるような「幸せな家族」である。
「幸せな家族」自体が間違っているというわけではない。
神の祝福として与えられることもあるだろう。
しかし、それは目的ではない。
もう一つ、「安定した生活」である。
「安定した生活」自体間違いではない。
しかし、我々がそれを第一に求めるならば、必ずサタンに騙される。サタンの手の中に入る。
人間が創造された第一の目的は、「開拓者」になることだ。
「地を従える」ために出て行くこと。
未開の地に出て行って、危険を省みず、数々の失敗や挫折の中で、土地を開墾し、そこに文明を築くこと。
これが我々の生まれてきた意味だ。
だから、安定を第一に求めるならば、サタンにやられる。
第一に求めるべきは、挑戦だ。
安定を第一に求めた人々は、バベルの塔を作った。
「全地に散らされるといけないから」。
開拓者精神と逆の精神だ。
できるだけ傷つかない方向へ向かおうとする心。
できるだけ恥をかかない方向へ向かおうとする心。
できるだけ挫折しない方向へ向かおうとする心。
十字架を避けたいという気持ち。
代価を払いたくないという気持ち。
つまり、「ひきこもり」の気持ちだ。
共産主義国家は、リスクを恐れてチャレンジしない人を奨励し、チャレンジする人々を罰するシステムである。
「競争こそ諸悪の根源だ」と。だから、「競合しないように一社に絞ろうとする」。
チャレンジして、利益を上げればあげるほど刑罰が厳しくなる税制(累進課税制度)。
銀行に預けた金が戻ってくるように準備されるセーフティネット。
大恐慌で、過剰融資のつけを払わねばならない銀行を助ける国家救済策。
こういったものは、バベルの塔の文化である。
偶像礼拝の文化。
リスクを恐れて、チャレンジを嫌う人々を育てる文化。
「幸せな家族」「安定した生活」を第一義として求めるときに、我々は悪魔の手中に入り、精神を病む。
我々は、競争の中に飛び込まねばならない。チャレンジして失敗することを繰り返さなければならない。
何度も何度も失敗して、苦渋をなめる経験をたくさんしなければならない。
それが我々が生まれてきた意味だから。
開拓者であることを嫌うならば、生きている意味がない。
2010年5月20日
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