クリスチャンにとって成長とは、霊の戦いの海千山千になるということだ。
10年や20年先輩の商売や仕事上の上司ですごい人があなたの回りにおられると思うが、新入りとの違いは経験である。
実はクリスチャンも同じで、年季を積むと、どうやって悪霊が攻撃するかパターンが分かるようになる。
私は、よく言えば素直、悪く言えば無垢な部分があって、社会人になった当初、いろんな言葉をまともに受け止めてしまった。
そのたびに落ち込んだ。
しかし、経験を積むうちに、どういう手で来るかわかるようになってから、直前で撃退することができるようになった。
言葉は重要である。
聖書において神の言葉は、「剣」と呼ばれている。
神の言葉は、場合によっては人を刺し、切る。
人だけではなく、悪霊も刺し殺す。
言葉は、単なる音の連続ではない。霊が乗るのだ。
霊の乗り物だ。だから、それは、我々を殺すために働くこともある。
軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12・18)
悪霊は、言葉によって攻撃してくる。
その言葉とは、「否定的な言葉」だ。
「できない。」「だめだ。」「やっても無駄だ。」「あきらめろ。」「馬鹿」「まぬけ」・・・
こういう言葉は、剣であり、火矢なのだ。
それをホイホイ受け入れると、傷を受ける。
じゃあどうすればいいかというと、「信仰の大盾」を取ることだ。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペソ6・16)
悪霊は、我々の敵に思いを入れて、ある言葉を発するように導く。
それを聞くこちらにダメージを与えようとしている。
だから、我々は、盾を取ってその剣や火矢を防ぐのだ。
それは、信仰だ。
信仰によって言葉を吟味せよ。
「これは、聖書的か?」判断せよ。
聖書的ではない言葉はいっさい、自分の盾のところで払い落とせ。
自分の心に入ってこないようにせよ。
とくに、神の働きをしようと決意すると、悪霊は総攻撃をしてくる。
我々の中に土足で入り込もうとしている。
過去の失敗をことさらに大きく膨らませて「おまえはもうだめだ」という。
モーセに率いられていた民にもこのような悪霊の攻撃があった。
荒野で水がなくなると「もうだめだ」といい始めた。
そして、モーセのとこにやってきて「おまえが俺たちを連れ出してこんな砂漠の真ん中で殺そうとしているのだろう。お前を殺して我々はエジプトに帰ろう」と言った。
モーセは状況はどうであれ、ただ約束を信じて神を恐れていた。
モーセが動かなかった理由は、「神が私にこう言われた」ということだけだった。
神の言葉、ただそれだけにしがみついた。
荒野の真ん中で水がない状況で、科学など役に立たない。
役に立つのは、信仰だけだ。
神に指示されて、岩を杖で叩くと、そこから水が流れ出た。奇跡が起こった。
悪霊は「周りを見ろ。こんな水もないところで。おまえたちは死ぬしかないのだ」という。
悪魔は、科学を利用するのだ。
だから、クリスチャンは、「科学的に考えて、これからキリストが勝利するなんてありえないでしょう。みんなノンクリスチャンになっているのに。」と考えてはならない。
約束を見るべきだ。
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。(ローマ16・20)
我々の足で、サタンを踏み砕かれるのだ。
「キリストが再臨されなければ何をやっても無駄だ」という教えがいかに悪魔的であるかお分かりだろうか。
ちなみに、私はこのように考える人々に囲まれている。
実家に帰れば、ディスペンセーショナリズムの父母がいる。私の活動をまったく評価していない。
家庭集会でユダヤ人のクリスチャンのうちにいくと、同じことを言われる。
「この世界はサタンに牛耳られているのですよ。どうしてクリスチャンが勝つことができますか?」
何度も何度も執拗に言われてきた。そのたびに同じ答えを言うが聞いてくれない。
だから、私がこのHPにおいて何度も口をすっぱくしていっていることは、単なる妄想、思い込み、被害妄想なんかではないのだ。
具体的に今のクリスチャンがサタンに洗脳されていることを肌で感じている。
私の父母は、私とまったく逆の立場にいるある先生を信じている。
その先生の書いた物を読めという。
ディスペンセーショナリズムの嘘は我々の周りを埋め尽くしている。
だから、我々がもしこの立場に立ち、御国建設などを目標にかかげるならば、総攻撃を受けるだろう。
もし、あなたの先生や牧師や伝道師が、悪霊の攻撃を馬鹿にするならば、それは、彼らが戦っていないからにほかならない。
彼らの敷いたレールの上にのっていれば、攻撃される心配はない。
しかし、そのレールは、地獄に通じている。
キリスト教をこの地上から完全に消滅させようとしている霊によって、地獄に引きずりこまれるだろう。
あなたがもし私たちを経済的に助けようと思うと必ず邪魔が入るだろう。
思い留まらせる何かが必ず働く。そして、こちらが間違っており、聖書から外れているかのような教説に出くわすだろう。
誰かが誘い、我々を裏切るようにするだろう。
そうやって、あらゆる時点で抵抗がある。
これがこの世界の現実だ。
戦場なのだ。
最近このサイトを通じて救われたある兄弟が、月曜日に「御国建設のために何かしよう」と決意された。
そうすると、とたんに悪霊のものすごい攻撃を受けて、自殺の寸前にまで追い込まれたそうだ。
また、ある牧師先生が、私の立場に立ってメッセージをはじめたら、不思議なことにものみの塔が活発に教会の周りで活動を始めたという。
またある兄弟で私たちに献金をしはじめたら、突然家族から猛攻撃を受けたそうだ。
「偶然でしょう。」???
戦ってみれば分かる。
とくにポスト・ミレの信仰には一番攻撃はきつい。
これは私の体験だ。
セオノミーについてよりもポスト・ミレに対する攻撃は激しい。
何度もこういう攻撃を受けると、次第に敵のやり方がわかってくる。
しかし、敵は我々よりも賢く、何千年も戦ってきているから、経験は桁違いに多い。
だから、我々だけであれば、ひとたまりもない。
すぐ殺されてしまう。もしくは霊的ボケ老人にされる。
快楽とか金とかつかまされて、「別にそんなこと一生懸命やらなくてもうまくいくんじゃないか?」と考えはじめる。
我々は、神の助けを必要としている。
聖霊は我々を助けてくださる。
だから、我々は圧倒的な勝利者になれる。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8・37)
さあ、悪霊の攻撃を跳ね返して、地上をエデンの園に変える働きに参加しよう。