小市民的な幸福を捨てない限り大きく用いられない


メールありがとうございました。

大変な試練の中をくぐっておられると存じます。

私は、組織の中でいつも迫害される位置にありました。

友人らは、よい先輩にあたるのに、私だけひどい言語道断の先輩やら課長、指導者にあたりました。

友人らも「おまえはとことんついてないなあ」と言いました。

どうしてこんなに試練が続くのか不思議でした。

尊い働きをする人にはちっぽけな成功は与えられません。

そこに安住してしまうからです。

もっと高いもの、崇高なものを求めさせるために、あえて成功を与えられない。

よく証で、「私はこうこうこういう成功を収めたが、神に示されたので伝道者になりました」という人が(とくにアメリカ人に)いますが、ウソだと思います。

ウソでなければ、たいした用のために召されていないと思います。

本当に用いられる人は、失敗の連続だと思います。

カルヴァンは、「この世を軽んじるという学校を卒業したら、その人は大きな進歩を遂げたことになる」と言いました。

神は本物の人間には、この地上的な、小市民的な幸せをあえてお与えにならないのです。

全的献身にいたるまで徹底して我々の内側にある自信や人間への信頼感を奪い去る。

こうして、純粋な働き人が誕生する。

イエスも、家族から見放されました。

アブラハムも祖国から追い出されました。

天路歴程というバニヤンの本がこのクリスチャンの人生をうまく表現しています。

滅びの村に住む家族が引き止めるのを振り払って「キリスト者」が村を出て旅に出ます。

肉親や親戚、家族などを捨てることが出発点だと教えています。

大きな祝福は最後に必ずあります。

 

 

2008年12月8日

 

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