イラク政策を支持するクリスチャンは神の面汚しである


クリスチャンは、聖霊によらない業を拒否すべきである。

「あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」(ガラテヤ3・3)

御霊によって始まったならば、御霊によって完成すべきである。

アメリカのファンダメンタリズムなクリスチャンたちは、この原則を忘れて、肉によってイラクを完成しようとした。

体制変革によってイラクを民主化するという計画は、ノンクリスチャンのやり方であり、それに賛同することは絶対にできない。

イラクをアメリカのイメージに従って作り変えるなど、まったく傲慢のなせる業であり、クリスチャンは絶対に承認できない。

仮に、イラクにおいて大虐殺など深刻な人権侵害があって、フセインを倒すことがどうしても必要ならば別である。

しかし、今回の戦争の始まり方をみても、「へ理屈をつけて」という部分が大きかった。

アメリカは、世界の啓蒙専制君主になり、遅れた文化を進んだ文化に変えてあげるという意図があった以上、神がこのような傲慢をお許しになるはずがないのだ。

戦勝直後、イラクに行ったクリスチャンが「どのみちイラクの人々が解放されたのだからよかったじゃないか」と言っていたが、今もそのように言うだろうか。

国内はほとんど内戦状態である。アメリカが引き上げて、国連が監理するというが、テロリストたちは、外国勢力の完全放逐を目指している。他国の秩序安定のために、泥沼のゲリラ戦の中で命を落とす可能性が非常に高い戦争に加わることを国連軍人たちは望むだろうか。

米軍は国益があったから世論を納得させられた。国連にはそれがない。しかも、人道的に見ても、イラク戦争には参加するに値する道義的な理由もない。そういった場合、兵士は逃げ腰になる。逃げ腰の軍隊が勝てるはずもないから、早晩国連軍も手を引くことになるだろう。

そうなったら、イラクは完全な権力の真空が生まれ、内戦状態になる。

アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、中東は戦略的な価値があるために、欧米の利益の標的になってきた。悲惨なのは戦場と化した地にすむ国民である。かつて緑豊かな国であったアフガニスタンはソ連戦と内戦、そしてアメリカの支配のもとで不毛の土地になった。このまま戦争が続けばイラクも同じ運命をたどるだろう。

クリスチャンは、帝国主義者の野望に反対こそすれ、それを後押しなど絶対にしてはならない。

アメリカの政策を表面的に信じるナイーブなクリスチャンは神の面汚しである。

 

 

2004年5月2日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp