御言葉にたてつくような人間は相手にしない


石打刑の問題では、一度私の教会から牧師が離れていった経験がある。

「ついていけない」と言って。

石打刑でどうしてついていけないのだろうか。私は、まったく理解に苦しむ。

神が命令していることに躓いているということは、神の側に問題があるのではなく、自分の側に問題があるということなのだ。

神が基準であって、我々ではないのだから。

もし受け入れがたいものがあるとすれば、それはその人の傲慢、プライド、罪が原因である。

そういう意味において、石打刑を今でもやっているイスラム教徒のほうがまだましだ。

こういった旧約律法に躓きを覚える人間は、そもそも、死刑制度自体に躓いていることが多い。

人間が人を殺してもよいのか、なんて疑問を呈して自己満足にひたる。

神より義しくなってどうするのか。

神より憐れみ深くなってどうするのか。

御言葉にたてつくような人間は相手にならない。

話しても無駄。

もっとへりくだって御言葉の前に頭を下げなさい。

 

 

2007年2月19日

 

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