物部氏が封印された理由
1.
月刊ムー7月号によると、2009年1月、八咫烏が久しぶりに飛鳥氏と面会。
「物部氏は徐福とともに日本に来た」と告げて去った。徐福といえば、ユダヤ人と言われる秦の始皇帝と同族で、漢訳聖書では「ヨセフ」(訂正:この情報は不確かである)。
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi3.htm
『義楚六帖』によると、徐福集団の子孫は今も秦氏となって日本に住んでいるから、物部氏は秦氏である。
しかし、この秦氏は紀元前3世紀に徐福によってもたらされた部族であり、3世紀に朝鮮半島を経由してやってきた秦氏とは別の系統である。
物部系秦氏は、物部神道を形成し、紀元前から日本の中核にいた。
蘇我氏と聖徳太子が仏教を導入した際に、物部氏は神道を守って、導入を阻止しようとしたが敗れた。
しかし、蘇我対藤原の戦い(大化の改新)で、藤原氏が勝ち、神道派が復活。
だが、藤原は、同じ神道派の物部氏の台頭を嫌って迫害し、明治まで続く藤原王朝を形成した。
物部は闇に葬られた。
藤原氏が物部氏を闇に葬ったのは、少し奇妙である。
藤原氏の背後にはこの一族を動かす者たちがいたからである。
それが、八咫烏であり、その中核は賀茂氏であった。
実は、賀茂氏も物部なのだ。
だから、賀茂氏は、自分と同族の物部氏を封印したということになる。
これはなぜなのだろうか。
飛鳥氏は、「そこには壮大な預言にもとづく計画があるらしいのだが、全貌はいまだ明らかになっていない」といわれる。
2.
飛鳥氏は、籠神社を取材し、物部氏が徐福とともに来たことを確認しようとした。
宮司の海部光彦氏は、海部氏は、物部氏の中核を担っていたと言われた。
その際に、ごく限られた氏子だけに公開した籠神社の極秘伝の紙を数枚示された。
そこには「カゴメ唄」の秘密が記されていた。
「この唄は、本来、籠神社の隠し歌であり、そこには日本の国家成立にかかわる重大な秘密が暗号として隠されているのです」と海部氏。
この極秘伝には、この歌に登場する「鶴」は伊雑宮を指し、「亀」は籠神社を指すとあった。
飛鳥氏は、これを見て自分の推理が正しかったことを確信したという。
以前、八咫烏から籠神社と伊雑宮は、それぞれ「阿」であり「吽」であると告げられていた。
それに基づいて、伊雑宮の伝承に登場する稲穂をくわえた真鶴が伊雑宮を象徴し、そして亀は籠神社の伝承に登場する倭宿弥命の乗っていた海亀を暗示していると考えていたからだ。
実は、私も同じことを考えていた。
2005年5月24日の「日本に関する仮説14」で私はこのように書いた。
(*)籠とは、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船で竜宮へ行った故事からつけられた。(http://www.kimura-product.co.jp/kiyouto/kiyouto04.htm) この籠船が亀に変わったのは、恐らくどちらも六芒星を表すからだろう。カゴメは六芒星で、亀の甲羅は六角形である。ちなみに、ここからカゴメ歌の「鶴と亀」の意味が分かるかもしれない(八咫烏は童謡など人目につきやすいところやものに秘中の秘を隠す)。
亀が籠神社を象徴するとすれば、鶴は伊勢神宮だろう(『倭姫命世記』によると、むかしある秋に、伊雑の地で鶴の鳴き声が聞こえ、その地へ行ってみると、稲の一つの根から千の穂が実ってゐて、これは良い稲だと、伊佐波登美神が抜穂にして神宮に献ったといふ。その場所に祭られた「伊佐波登美之神宮」が、伊雑宮のことである。http://nire.main.jp/rouman/ubu/tikata4.htm)。
八咫烏は、この2つの神社を「阿吽(あうん)」だと述べた。つまり、それはAとZ、アルファとオメガ、はじめと終わり。籠神社にも伊勢神宮にも六芒星がある。六芒星は籠神社の奥宮・真名井神社と伊勢神宮の別宮・伊雑宮の社紋である。六芒星であるダビデの星は、天と地の合体、調和、和解を象徴し、それは、イエス・キリストのあがないの業を表す。
鶴と亀と、それぞれが象徴する籠神社(あ)と伊勢神宮(うん)は、合わさって、「私はアルファでありオメガである」と述べたイエス・キリストを表すのではないだろうか。
ある人は、「鶴と亀がすべった」の「すべった」は「統べる」から来ているという。ということは、「イエス・キリストが統治する」という意味になる。
カゴメ歌は、「籠の中の鳥(籠神社の祭神である天照大神=イエス・キリスト)」が「夜明けの晩(新しい時代の始まり)に出て」、「鶴と亀がすべった(イエス・キリストが統治した)」ということを意味するのかもしれない。
http://www.millnm.net/qanda3/75qpNXipfTz222368.htm
2009年6月29日
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