教育制度など



tomi: そもそも義務教育制度と学校教育制度がおかしい。というのは、学校というのは、生徒を選ぶことができるべき。教育するのですから。正しい訓練をしている限りにおいて先生が堂々と教育できる環境を保証するべきです。もしそういう訓練が嫌いなら、生徒を追い出せばいいのです。
今のように、義務でやると、生徒を選べない。逆に先生も選べない。
みんな「教育を受ける権利があるから義務教育だ」というが、それならば、学校制度でなくてもいい。塾みたいな制度が一番いいと思います。そして、クリスチャンは、妥協ないクリスチャン教育ができるようにすればいいと思っています。
小さなうちから、周りに合わせなければならず、正しいことを選択できないというのはひどい制度だと思います。

C: なるほど
先生が生徒を選べないし 生徒が先生を選べない
あと、今の思想というのは家庭ではなく学校に子供を教育させることを考えているみたいですね
学校制度でもなく塾でもいいじゃないかと言うと
きっと、「学校でしか学べないことがあるんですよ。塾と違って」
と返答が返ってくると思います。
しかし、今日の学校制度が何を生み出したのでしょうか?
周りだけ見て、周りに合わせて、自分の能力も生かせず
アホになるだけです。
そもそも教育とは学校ではなく家庭にあると思います
どうも、今日の学校制度とかをみると社会主義的なものが感じられます
あと、先日話をしていただいたことなのですが
何も全日制だけにこだわっていく必要はないんですね
単位制でさっさと大検を受けて、それで単位も増やして一気に高校を卒業する制度も整っているみたいです
全日制が悪いというわけではないですが、あそこはいい先生やいい仲間がいなければ、
また、一流の進学校でなければ行く意味がないように感じます

tomi: そうです。
僕の場合は、進学校に入れたことを感謝しています。非常にレベルの高い高校生が集まっていたので、よい刺激を受けることができました。
ただ、今では、インターネットがあって、マスコミの画一的な情報ではなく、いろんな人がいろんな考え方を披露しているので、そういう知的な刺激が有益ではないかと思います。
今の学校教育では、同世代、同年齢の子供とあわせなければならないので、精神的・知的に進歩している生徒にとっては苦痛だと思います。

C: 僕が知的に精神的に発達しているのかどうかはわかりませんが
本当に毎日退屈で面白くないです
彼女とか性の話だとかくだらないことばっかり話しています

tomi: こういう意味でも学年制を廃止して、とにかく最終試験に合格すればよいという制度にすればよいと思います。つまり、高校卒業資格は、試験を受けて学力が備わっていることを確認すればいいという制度にすべきです。

C: そう思います
それに反対する一般の意見としては
学校は勉強をするだけのとこでないと 言いますが
学校は勉強するところだけだと思います

tomi: 今は、司法試験ですら、ある学校を卒業しなければならないというようになっていて、結局、そういう規定のルートをたどらないといけないという風になると、弁護士などの思考形式が画一化されて、少数の人々の気持ちなどを理解できなくなるのではないかと思います。

C: はっきり言って、学校に行っても人間とのコミニケーションとかは伸びないと思います
ただ、周りに合わせるアホが生まれるだけで。
これは社会主義的な情報規制をするためのヤツラの罠だと思います

tomi: そうです。昔は、学校などなくても、周囲の大人から有益な情報を学べた。同世代から受ける影響よりもよい影響があった。
そうです。教育制度を調べると、ヘーゲル→プロイセン軍国主義→集団主義
そして、共産主義という流れを見ることができます。
つまり、学校教育は、サタンの制度なんです。

C: まだわかりませんが

tomi: カント・ヘーゲルは、ヒューマニズムを作った人々です。ヒューマニズムとは、神なしで天国を作る思想ですから、エデンの園を追い出されたアダムとエバの思想です。

C: 単位制の高校は一から始めるわけでなく、既に取った単位をそのまま生かせるそうなので考えています
はい、中学校から学校には何か拒絶感を感じていました。
ミレニアムに来て勉強し、だいたい何がもやもやしているのかわかりました

tomi: 僕は、こういったサタンの作った制度に従わなければならないとは思いません。クリスチャンは、人間の制度に頼るべきではない。
それを実践して証明したいと思っています。
人間に頼らなくてもやっていけることを。
たとえば、福音派をやめたときに、クリスチャンから「僕が大体見ていると、一度教会を追い出された人は、二度といいポジションにはつけない」といわれました。
今、福音派を出て、福音派から何もしてもらっていませんが、別に困りません。
ぜんぜん関係ない。
福音派に救われようとも思いません。改革派でも、ひどい扱いを受けます(疑われる)が、別に実害はありません。
分かる人は分かる。
「人間が作った制度などに頼るなんて、そもそも信仰がない」というくらいのクリスチャンでなければ、改革は絶対にできないと思います。
生きるためならば、何でも仕事はあります。
それで自活して、神様の使命を実行すればよい。
たしかに貧乏はしますが、それくらい耐えられなければイエスの弟子にはなれません。
「彼らは網を捨てて従った」とあるように、イエスの弟子となる人は、すべてを捨てた。
今の世界は、バベルの塔の世界であり、バベルの塔を作っている人々に認められることが前提となっている世界です。
こんな世界で認められて何になるのでしょうか。
実際、世の中で一番ものを言うのは、現金です。

C: なるほど。

tomi: 資格とか学歴とかは、二の次です。
現金があれば、何でも通ると考えて間違いはない。

C: できるかどうかはわかりませんが、単位制の高校も少し考えようと思います
確かによく考えればお金ですね
変に逆らってもお金がなければ何も通らないですね

tomi: ロスチャイルドはそのことをよく知っていた。



tomi: だから、「私に通貨の発行権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうが知ったこっちゃない」と言った。

C: また別な話ですが、最近は学歴よりも実力が問われる時代になってきて、あまり、高卒とか大卒は関係ないように思います
ああ!あの有名な言葉ですね

tomi: たしかに、どこかの組織に属することを考えると学歴は大切です。
しかし、組織に属することは、非常に信仰者にとっては難しいことです。

C: 矛盾を感じ 葛藤が生まれて
極限的には 辞めるか 律法を破るかのどちらかになりますもんね

tomi: しかし、ある物があって、それを商品として営業する場合、学歴なんてまったく関係がない。
そうです。営業職にとって学歴は何も意味しない。
そして、営業で有能であれば、他に何がなくても生きていける。

C: 結局、学校教育というのは神話でしかないように感じます

tomi: たとえば、土木の仕事ですが、労働者を斡旋する会社の人は、まったく労働ができなくてもいい。
仕事を取ってきてそれを労働者に割り振ればいい。
それで、かなりのマージンを取れる。つまり、労働と同じだけの収入が得られる。
いや、実際に仕事はしないのですから、労働ができる人よりも収入がいい。
これが社会の実情です。
営業ができれば、生きていける。

C: う〜ん。となると、あと一年と半年我慢するのも手ですが、このまま単位制に移行して、さっさと仕事に就くのも手なんですね

tomi: 学校教育とは、国家が国家にとって都合のよい人間を作るための制度です。

C: その分社会の怖さは知りますが、いずれ知ることなので。
やっぱりそうですか。僕は学校に行って学んだことはないです

tomi: 社会の怖さなんてないです。

C: ああ、それは学校教育で洗脳するための嘘みたいなもんですね

tomi: 金を稼ぐことができれば、すべての人の口を封じることができる。
極端に言えばですが。

C: なるほど
正直、学校で学んだことよりこのようにネットで学んだり、また、学校の勉強でさえ、独学でやったほうが伸びました

tomi: ホリエモンは東大を出たから有名になったのでしょうか。違います。

C: やっぱりお金なんですね

tomi: ホリエモンがいい奴だとは思いませんが。
すべての人は、金があれば動きます。極端な話ですよ。

C: そうですね
「一億円がここにある。さあ これをしろ!」
これで即終わりですね

tomi: そうです。

C: はい。もちろんわかります

tomi: で、金を儲けるにはどうしたらいいか、ということがもっとも重要な問題です。

C: この話を聞いて、法律なんかどうでもいい 金が全てだといいませんよ。
なるほど、どのように儲けるかですか。

tomi: でも、つきつめて考えると、法律だって金で乗り越えられる。
押尾問題、今やってますが、検察自体、森の話を最初から出していないじゃないですか。
押尾と彼女だけの話になっている。
これっておかしい。最初の報道とまったく状況が違う。

C: ああ、いや法律というよりは 神の法律つまり 律法という意味で話しました

tomi: 世の中、本当に億単位の金があれば、法律なんて関係ないんです。

C: 金が神様がいなければ全てだと思いますが

tomi: これも極端な話で、僕が法律を無視しろといっていると解釈しないでください。

C: はい、もちろんです。
僕は理解しています

tomi: じゃあ、金はどうやって稼ぐのか。

C: わからないです。

tomi: 僕は、金を稼ぐ才能がないが、聖書では、「戒めを守れ」なんです。

C: はい。わかりました

tomi: 「金を得ることにあせってはならない」ともあります。

C: 金を稼ぐ方法があるみたいですが、そうすると必ず律法との対立が生まれてきますね

tomi: つまり、「金はものを言うが、だからといって、金をあせって求めて、戒めに反することをすると駄目」という教え。

C: 金か 律法かになると思います
はい。
理解しました。
どうやら、金を稼ぐ確実な方法はあるようなのですが

tomi: 金は、サタンが一番働く領域ですから。
誘惑が強い。

C: 問題はそれが聖書が禁じていることをしていないか心配です
ああ、なるほどサタンが強く働くんですね

tomi: 人生の中で、サタンはいくつかおいしいケーキを出してくるが、その一つはお金です。
それを食べてしまうと、もうだめになる。
化け物になります。
政治家に妖怪の顔をした人間がたくさんいますが、彼らは金というサタンのケーキを食べた。
そのために、国を売る人間になっています。

C: なんか先生の話を聞くと
悪魔に傾く人間は本当に悪魔みたいな顔になるんですね
僕は知りませんでした。

tomi: そうです。Mのママの顔を見てびっくりしました。妖怪でした。
娘を売って商売していた。
おそらく金で駄目になった人生でしょう。
だから、知恵がないと人生を無駄にする。
社会にどっぷり漬かって、社会の規準で生きるようになると、自分を失い、神を失って、サタンの奴隷にされて、死ぬ間際に「俺の人生はどうしてこうだったんだ!」と叫ぶことになる。

C: 知恵は知恵でも本物は
神様を恐れることなんですね

tomi: サタンは最後の最後まで自分を隠しますから。
そうです。

C: 知識の初めは神を恐れることである
とありますね

tomi: そうです。
遺言は、その人が最後に発する「もっとも大切な本音」です。

C: なるほど。悪魔の常套手段は死ぬ間際まで騙すことなんですね

tomi: ダビデもソロモンも「神の命令を守れすれがすべてだ」と言い残して死んだ。

C: だから、無心論者でも死ぬ間際は神はいるというんですね

tomi: そうです。無神論者は、「神を知りながら、知らないとつっぱっている人」でしかない。
裕福になるには時間がかかる。

C: easy come easy go ですね
悪銭身につかず

tomi: 知恵を最優先すれば、いずれ裕福になるように世界はできている。

C: ああ、なるほど

tomi: ただし、時間がかかるから、みんな安易な方法を選ぶ。

C: 逆に裕福を優先させると死後は大変ですね

tomi: そうです。永遠の地獄です。
今の人生を、金中心に過ごすと、結局は、失敗するんです。
この世界のシステムは、サタンのシステムですから。

C: 箴言には知恵を自分の財産を全て使ってでも求めろとありますね

tomi: そうですね。

C: 金が全てだということはわかりますが
この世界は神様がいるので正義が最終的に勝ちますね

tomi: そうです。

C: もちろん、先生の話はわかりました
後で「よ〜し!金で人々をだましてやる。金が全てだ」なんということは言いませんよ

tomi: 要するに、「金を求めてあせるな」ということと、同時に「金なんていらないというのも間違い」ということを言いたいのです。
神の国を拡大するには、金がものを言います。

C: はい。ノンクリスチャンは金だけを求めて
しかし、その金は、神が与えてくださる。神が与えてくださるまで、戒めを守ってじっと待つこと。
一方でクリスチャンは金を全て捨てることが敬虔だみたいなことを言う傾向がありますね

tomi: そうです。偽善です。

C: ビールを飲むなと同じみたいに。

tomi: そうです。

C: 金というと  汚い といいますね

tomi: そういっている人ほど金が好きで、やばい手段を使って儲けようとします。

C: なるほど。神様のみ心に従って、ベンチャーして
どんどん金を儲けて、神様の国の発展に使うことは間違いないと思います

tomi: そうです。
金がなければ、いろんな働きができませんし、困っている人を助けることもできません。

C: それさえも、最近の教会は敬虔じゃないと言っていますね

tomi: 禁欲主義なんですよ。
バランスの取れた考え方をする必要があります。

C: バランスがモノを言うんですね

tomi: この世界は、神からタラントを与えられて、それをどのように倍増させるか、ですから。

C: 両極端は存在しますが、バランスタイプはあまり見かけないですね

tomi: よく考えていないんです。
聖書から教えられていません。
私は、自分の人生をまず、この「何が聖書的なのか」を調べるために使おうと思いました。
だから、仕事の合間に勉強をして、聖書的な考え方をみに付けるために時間とお金を使ってきました。
聖書が何を言っているかが分からないと、まったく努力が無駄になります。
クリスチャンで、教会の教えを守っているから大丈夫だということではない。
なぜならば、教会が騙されてしまったので。
聖書だけが「騙しのない領域」です。
だから、聖書だけから学ぶことにしました。

C: 今日は、教会の教えではなく聖書の教えだけ見つめたほうがいいんですね

tomi: そうです。自分がやりたいことは、あらゆる領域に関して、聖書的なものは何か知ることです。
ディスペンセーショナリズム、バルト、新福音主義、フラー神学校、・・・いろんな教えに騙されてしまって、せっかく使っている牧師の労力や信徒のお金やいろんなエネルギーが無駄なところに使われている。

C: う〜ん。となると
何も神学校に行って、いう箱に入って無駄な教えを教授してもらうよりは
先生のようにただ懸命に聖書の言葉を慕い求めて活動するほうがいいですね

tomi: たとえば、R先生は、イルミナティについてもフリーメイソンについてもよく知っている。ある程度正しい。でも、ディスペンセーショナリズムなので、本当の意味では、クリスチャンを助けていない。
そうです。

C: 何も神学校に行くのが全てではないですね。特に今の神学校が腐れた時代は。

tomi: だから、僕のページでは、最短距離でその聖書の真理に達するコースを提供している。
ヴァン・ティル→ラッシュドゥーニー→ゲイリー・ノース
これが最短コースです。

C: ヴァン・テイルで 前提主義を

tomi: それ以外の勉強をしても変な教えにかぶれてしまって無駄になる。

C: ラシュドゥーニーで セオノミーを
ゲイリーノースは 何ですか?

tomi: ゲイリー・ノースは、社会全般の問題についての実践的な解釈・対策です。

C: なるほど
実践バージョンですね

tomi: 彼は、学ぶに値するすばらしい器です。

C: 実際に理論をどう生かすか。

tomi: そうです。

C: わかりました。これが最短なのですね、

tomi: 正直言って、カルヴァンやカイパーもいいが、ゲイリー・ノースやラッシュドゥーニーを知れば、大体解決します。
その他、バルトやリベラルなど勉強しても無駄です。
時間とお金の無駄。

C: つまり、ラッシュドゥーニーの中にはカルヴァンの教えが含まれているが

tomi: 批判対象としてみるにはいいが。

C: 逆はなってないんですね

tomi: 逆ではないです。

C: たとえば カルヴァンは セオノミーを含んでないんですね

tomi: セオノミーですが、まで未成熟です。

C: まだ、ラッシュドゥーニーほど徹底した点がない。

tomi: そうです。

C: !!了解です!!

tomi: ラッシュドゥーニーは、それまでのキリスト教を10とすると、100のレベルに上げた人です。

C: ヴァン・テイルは 全てをなぎ倒したが、何かを立てなかったんですね

tomi: そうですね。

C: 立てた人が ラッシュドゥーニーなんですか。

tomi: そうです。

C: へ〜、ラッシュドゥーニーはそこまですごいんですか

tomi: それまで社会問題について具体的に解釈できたクリスチャンがいましたか?

C: 逆に言うとラッシュドゥーニーまでの人たちは間違った教えに振り回されてきたんですね

tomi: そうです。

C: 確かに、クリスチャンの思想で経済とか法律を解釈した例は教科書にないですね

tomi: 内村鑑三や高橋三郎など無教会派の人々は、社会問題について実践的な解釈をしましたが、神学が幼稚なので、参考になりにくい。
ないです。
経済についてはゲイリー・ノースがすぐれています。
法律についてはまだいません。

C: ああ、無教会と言っている時点で、
内村鑑三先生などは神学が甘いんですね
詳しくはわかりませんが。

tomi: 甘い。

C: 他にはどういった点が甘かったんですか?

tomi: 改革派神学をしっかり勉強する前にリベラルの侵入を受けた。
だから、内村の弟子たちはリベラル化した。高橋三郎もそうです。

C: そうですか。
それでは ヴァン・テイルで前提主義を学び
聖書絶対主義を徹底させる

tomi: 矢内原忠雄もすぐれているが、しかし、律法が欠如しているので、ヒューマニズムに落ちた。

C: 次にラッシュドゥーニーで セオノミーと、
ヴァン・テイルが立てなかったものを学ぶ
次にはいよいよ ゲイリー・ノースで 理論を実践するんですね

tomi: そうです。
この3人を飛ばすと、今の米国の再建主義者のように、変な方向に向かって自滅します。

C: ええ! 米国の再建主義者はおかしいんですか?
どんな感じで?

tomi: ラッシュドゥーニーの死後は、かなりおかしくなりました。
オーバン・アヴェニュー神学やフルプレテリズムです。

C: なるほど
まだ触れていませんでしたが
ヴァーンセン神学者はどうなのですか?

tomi: 結局、ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースを本当の意味では理解していなかった。
グレッグ・バーンセンは非常にすぐれていて、まともです。
彼は大いに学ぶべきですが、ラッシュドゥーニーほどではない。

C: え〜と、この人はどんな功績を残したんですか?
ゲイリー・ノースのように理論を実践したのですか?

tomi: ラッシュドゥーニーは、現代の諸問題を詳しく扱っていますが、グレッグ・バーンセンは、ヴァン・ティルの前提主義とポスト・ミレを理路整然と説明した人です。

C: なるほど、ポスト・ミレと前提主義を堂々としたんですね

tomi: だから、彼の書物を読むことは非常に有益です。

C: ということは大まかに言うと
これからの神学の課題というのは、ラッシュドゥーニーの理論を
全てのものに適応させて実践することなのですね
経済とか 教育とか 法律とか。

tomi: そうです。ラッシュドゥーニーの現代文化批評は大雑把です。
大局を示したにとどまりました。
ゲイリー・ノースは、かなり掘り下げた。

C: やることはいくらでも残されているんですね

tomi: いっぱいあります。

C: 僕が神学者になるかどうかはわからないですが
なるのなら、フラーとかみたいにはなりたくないですね
あるかどうかはわかりませんが、きちんとした再建主義の神学校で学びたいです

tomi: たとえば、律法で、政治家は、祭司と同じく、罪を犯した場合に、牛を捧げなければならなかった。ということは、政治家の責任は祭司と同じくらい重大だということです。

C: なるほど

tomi: これが神の意見です。
しかし、ヒューマニズムに従う今の教会は、「政治は倫理と関係ない。不倫していても、政治はしっかりやってくれるなら文句はない」というような意見を持つのですが、それは聖書的に言えば間違いです。

C: ええ!そんな考えを持つんですね!!

tomi: 律法の中の祭司制度や犠牲制度から、政治について考えるというような、こんな研究が必要なのです。
僕はそれをやりたかった。
それで、ゲイリー・ノースは、Tools of Dominionという本で律法の解釈を行って、現代生活に具体的に適用することを行っている。

C: はい、僕もそういうこと、またそれ以上に聖書を研究するのがスタンダードと思っていたのですが

tomi: こういう本を読まねばならない。

C: 現在の教会はそれをしないということは、相当聖書をてきとうに呼んでいるんですね
読んでいるンですね
研究もしないし。

tomi: 再建主義の神学校はまだないが、僕は、こういう具体的な教えを教える学校を作るべきだと考えています。
そうです。ほとんどゼロです。

C: それほど研究しないで ぷ〜たらしているんですね
驚きです!!

tomi: それで、人間の知恵に頼っているから、世俗の政治学とか経済学とかに圧倒されて、クリスチャンが聖書的に行動できない。
神の国がそれで停滞、いや、後退している。
無駄な時間とお金を使っている。

 

 

2010年9月7日

 

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