保険契約との類比で福音を説明できるのか、と尋ねる人がいるだろう。
「できる」。
なぜならば、キリストがこの世にこられた目的は、
御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3・16)
つまり、「保証」のためだ。
救いの保証。我々が永遠のいのちを持つためにキリストは来られた。
保険契約と比較して何がおかしいか。
我々が罪を犯して失敗しても、回復できるように、キリストが身代わりに罪の刑罰を負ってくださった、その保証を受けることが契約だ。
キリスト契約に入るならば、我々は自分の失敗の責任をキリストに転嫁できる。しかし、キリスト契約に入っていなければ、我々は自分の失敗の責任を自分で支払うことになる。
キリストは我々の身代わりに代価を払ってくださった。
危険回避という意味で保険契約も福音も同じだ。
世俗的なことに対比するなというか。
キリストはたとえ話で世俗的な例を出して対比を行っておられるではないか。