キリスト像を男性化しよう
イスラエルが滅亡し、神殿が崩壊し、ユダヤ人が世界に離散してから、徐々にキリスト教の担い手は、ユダヤ人から異邦人の手に移っていった。
今、ユダヤ人の大量回心により、徐々にユダヤ人もキリスト教の中で地位を高めているが、しかしまだ十分とはいえない。
キリスト教が異邦人化した象徴はキリストの肖像ではないだろうか。
キリストは、髪の毛が長く、ひ弱な男性として描かれることが多い。
しかし、律法は、男性の長髪を禁止していたので、「律法を成就するために来られた」キリストが長髪にしていたはずがない。
しかも、パウロは、長髪を女性にとっては栄光のしるしだが、男性にとっては恥とした。
長髪は、「女性は男性の保護を受けるべき立場にある」ということを象徴している。
それゆえ、保護者としてのキリストを象徴すべき男性は長髪にすべきではなく、礼拝や祈りにおいて被り物をつけるべきではない。
ハリウッドがキリストを描く映画は、どれもこれも受難を強調する。
異邦人のキリストのイメージは、「長髪=女性的=受身=受難=十字架」であるが、聖書のキリストは、「短髪=男性的=能動的=復活=世界統治」である。
我々は映画や絵画などのイメージによって、キリストの御業を受難でストップしているが、聖書が本当に強調しているのは、復活、昇天、世界支配である。
我々は、キリストのイメージを男性化し、受難よりも、その先の復活と昇天、世界統治を強調すべきである。
間違ったキリストの女性的イメージによって、キリスト教は女性化し、クリスチャンも女性化した。
(ここで私は、女性が悪いとか劣っていると言っているわけではない。女性は受動的な役割を神から与えられており、聖書のキリストの象徴ではないと述べているだけである。)
教会は、去勢された人々に似合う終末論を採用した。キリストが「出て行って、全世界の国民を弟子とせよ。世界を御国化せよ。」と言われたのに、「まもなく再臨があるから、そんな必要はない。」と堂々と言っている。
長髪のキリスト像は、20世紀のニューエイジ運動・ロック音楽・左翼思想に通じている。ニューエイジや左翼思想が、男性を「支配、統治、勢力拡大」の仕事から、「瞑想、トリップ、非現実的平和運動」に追いやったのと同様に、律法を失ったキリスト教は、教会員を「大宣教命令、世界の御国化」から、「デボーション、心理学、内省」に追いやった。
律法を回復し、聖書が描く真のキリスト像を取り戻す――つまり、キリスト像の男性化――が必要がある。
2006年4月1日
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