偶像礼拝により聖霊は離れ肉体は死ぬ
真のクリスチャンには、聖霊が宿っている。
聖霊が宿っているからこそ、聖書に関する話を理解できる。
聖書の教理について理解でき、納得し、心から同意できるのは、聖霊が我々に理解させてくださるからだ。
聖霊が宿るのは、我々が契約的に神と一体であるからだ。
我々は、キリストの御体の一部である。
教会は、キリストの体である。
キリストは、今天におられる。
キリストは、天におられるが、聖霊は我々のうちにおられる。
なぜか。
キリストが天におられ、聖霊も天におられたら、我々と神との関係がなくなってしまう。
夫婦が一緒に住んで家において一体となっているように、神は聖霊において人間と一体となられる。
もし聖霊が我々の体から去ってしまわれたら、それは、我々が契約の中にいない、つまり、滅びの器であるということだ。
我々の体は神殿である。イスラエルの神殿の至聖所に神はおられた。
我々の体の至聖所の部分―心―に神はおられる。
あまりにも反逆を重ねたために、イスラエルの神殿から聖霊が離れられた。
そして、神殿は崩壊した。
これは、人間についてもいえる。
あまりにも悔い改めず、度重なる警告を無視するならば、聖霊は我々から離れられる。
聖霊が離れることにより、我々の体は聖霊のない神殿のようになる。
神は聖霊が去った我々の体を滅ぼされる。つまり、死ぬ。
キリスト契約により、我々は神と一体化する。
しかし、キリスト契約に違反し続けるならば、一体は解消される。
結婚は、姦淫などによって解消できる。
偶像礼拝は、霊的姦淫である。
だから、偶像礼拝をし続けるクリスチャンから聖霊が去る可能性は高い。
悔い改めれば別である。
悔い改めて、「ヤーウェ神を第一とし、ヤーウェ神だけを礼拝します」と告白すれば、赦されて再び契約は更新される。
しかし、悔い改めを拒否し、平気で罪を犯し続け、偶像礼拝をし続ける人からは聖霊が去る。
聖霊が去った神殿は破壊の対象となる。
だから、肉体は滅ぼされ、魂は永遠の地獄に投げ込まれる。
契約の継続は、悔い改めを条件としている。
神の主権を真剣になって求めない限り、我々から聖霊は離れ、そして、我々は死ぬ。
聖書よりも世俗の学問などを権威とするような教会は、偶像礼拝を犯しているので、聖霊は離れる。
その教会は滅んでしまう。
2010年2月18日
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