自分の知恵に頼るとろくなことがない
この世界は、科学的理屈とか論理だけでは成立していない。
この世界は、倫理、道徳で成立している。
なぜならば、神が倫理的・道徳的な方だからだ。
「思いを尽くし、力を尽くし、精神を尽くして神を愛すること」「自分と同じように他人を愛すること」これが、律法の2つの目標だ、とイエスは言われた。
この倫理的目標に反したならば、どんなに力がある者でも、没落する。
今のアメリカの映画を見るとやたらに暴力的な描写が多い。
野獣化していると言ってもいい。
80年代から、性や暴力がむき出しになってきた。
それに伴って大衆芸能に魅力がうせてきた。
90年代からアメリカの音楽は死滅したと私は思う(人それぞれ好みによるとは思うが)。
70年代を経験した者として、80年代は何かすごく嫌な霊が働きだしたと感じた。
マドンナ、カルチャークラブ(イギリスだが)、プリンス・・・
どうも同性愛の臭いがした。70年代にまだわずかに残っていたキリスト教の匂いが消えてしまったような。
もちろん、それまでの音楽がよかったかというわけではない。
いつの時代も大衆芸能には悪霊がつきものだ。
しかし、私にとって、80年代はとくに何か変な霊を感じる時代であった。
70年代に夢中になったロックグループのリユニオンコンサートが80年代にあってたまたまテレビでやっていたので見たら、右の耳にピアスをして、ホモ顔の人が増えたので驚いた。
アメリカの大衆芸能は、人々の興味がある暴力、セックス、薬などを前面に出してむき出しの欲望を追求して売り上げを伸ばしたが、結局、自分の首を絞めることになった。
今アメリカ人は、「そういうむき出しなのはもううんざり」というのが本音ではないだろうか。
ユーチューブの書き込みを見ると、80年代はよかったという声が多い。最近のは聞いていないという人も。
これはビジネスの世界でもいえることで、「儲ければいいんだ」といって、人を経済的マシーンのようにこき使う、欲望むき出しの会社は、一時期急成長するが、最後には悲惨な結末を迎えた。
それに対して、社会貢献ということをきちんと打ち出していた会社はどうだろうか。
「社会を幸せにしたい」という公器としての自覚を持った会社は健全な繁栄を遂げていると思う。
だから、倫理を忘れた組織、人間は、長い目で見ると、最後に破滅するのだ。
なぜならば、この世界は神が支配しておられるから。
「律法、律法って言って我々をそんなに締め付けたいのですか?」といわれたことがある。
違う!
律法は解放なのだ。
たとえば、一週間に1日休まないと、おかしくなる。
疲れがたまって、最後に病気になって休まなかった分をまとめて休むはめになる。
十分の一を捧げないと、最終的にいろんな意味で損をする。
なぜか?
神に経済を呪われるからだ。
外面的にでも律法を厳格に守っているユダヤ人が世界でもっとも裕福だ。
安息日を守り、十分の一を捧げるという生活は、科学的・論理的に考えれば、もっとも非効率に見える。
しかし、最終的にもっとも効率的であると分かるはずだ。
キリスト教文化圏とユダヤ教文化圏が世界でもっとも裕福であるという事実は、世界が神の法によって動いていることを如実に証明している。
私は原則として日曜はまるまる空けている。礼拝をして休む。
仕事は一切入れないことにしている。
しかし、どうしても入れなければならない場合がある。そういう週が続くと病気になりかける。
そうなって「やっぱり原則を変えるとよくないなぁ」と思わされる。
自分の知恵に頼るとろくなことがない。
2009年12月3日
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