ディスペンセーショナリズムはなぜ人種差別的か?2
ユダヤ人による人種差別以外で、ディスペンセーショナリズムの人々が行うのは、「ノアの息子のハムはのろわれたので黒人差別してもよい」というアメリカのボブジョーンズ大学の創設者ボブジョーンズによる差別のようなものでしょうか。
しかし、これはディスペンセーショナリズムに由来するというわけではないので違うと思います。(ディスペンセーショナリズムの歴史は200年弱しかない。)
白人による人種差別は、人間の堕落した本能に基づくものであり、特定の教えは関係ないと思います。
ここ500年の白人による人種差別は、キリスト教を採用して科学が発達し、世界支配の力を得たことによるプライドによるものであり、そういったプライドは、今世界の中心が極東に移りつつある時代に崩れつつあります。
メレディス・クラインやジェームズ・ジョーダンによると、ノアの箱舟と幕屋の構造は、この世界を象徴的に示しており、それは、4つの段階に分かれています。
つまり、東から西に向かって、
幕屋外(海中)→庭(1階)→聖所(2階)→至聖所(3階)
幕屋の外や海中は、救いの外の世界を象徴します。
幕屋の内側は、救いの中の世界、つまり、神の国を象徴し、3段階に分かれます。
私は、神がこの型にしたがって世界を時間的・地理的に導いておられると考えます。
創造は、海→陸→エデン→エデンの園という4段階で作られました。
聖書において、海は異邦人の世界、救いの外の世界を象徴します。
陸は、契約の民の世界、救いの内側の世界を象徴し、3段階に分かれます。
キリストは、入り口から入り、「庭」でほふられ、祭壇で焼かれました。
その血は、祭司によって、「聖所」から「至聖所」にもって行かれ、贖いが成就しました。
この救いの過程が、メソポタミア→イスラエル(ヨーロッパ)→米大陸→アジアという文明の中心の西向きの移動を示しているように思えます。
神は、救いをこの順番で広めようとしておられるのではないか。
2009年8月29日
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